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2025年2月10日 (月)

「メキシコ映画大回顧」:その(3)

昨日終わった「メキシコ映画大回顧」だが、終盤にようやく暇ができて見に行ったのは「ルベン・ガメス」作品集。チラシに「1965年に「ヌエボ・シネ」の流れを汲み、保守的な映画産業の刷新を問いかけるかたちで始まった「第1回実験映画コンクール」。 そこで『秘められた公式』が一位に輝いたルベン・ガメス (1928―2002)の4作品を上映」と書かれていた。

これが抜群によかった。これまでいいと思ったのは黄金時代の古典的な作品だったが、初めて「新しい映画」を見たと思った。4本の中・短編だが、最初の『マゲイ』(1962)から驚いた。サボテンのような植物が無限に栽培されている畑をカメラが駆け巡るものだが、驚異的な移動撮影とアップとロングの固定ショットを自由自在に組み合わせ、ショスタコーヴィチの音楽が朗々と響く。

ナレーションはないが、そのカメラの動きや編集の唐突さにアラン・レネを思い出した。そして43分の『秘められた公式』(1965)は何と言えばいいのか、前衛の極致である。つながったソーセージの中、牛を殺した少年はそれを背負って歩く。ソーセージはどこにでも現れる。アニメの動物も。

修道院の少年たちは奇妙に曲った鉄棒で遊んでいるが、いつの間にか牧師たちを殺してしまう。マクドナルドなど世界の大企業名が書かれたベルトが回り、そこにはトヨタたミツビシやヒタチも現れる。不思議なナレーションとヴィヴァルディを始めとしたバロック音楽。その自由さにレネよりもクリス・マルケルを考えた。

共に76年の『メキシコ盆地』は都会を『囁き』は田舎を撮った一見オーソドックスなものだが、前者はジガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』のように何でも写す。バスを待つ人々の混乱、屋台に群がる群衆、えんえんと続くスラム街。後者はいつも田舎の人々の「ささやき」が聞こえるが、出てくる人々と口が合っていない。都会も農村も問題だらけのメキシコだけが浮かび上がる。

一体この監督は誰なのか。ネットで調べても英語の情報はほとんどない。1928年生まれだからヌーヴェル・ヴァーグ世代で、『マゲイ』はカンヌに出てブニュエルと比較されたようだ。いやはやすごい才能だ。

実はその前に『ロス・カイファネス』(1966)を見たが完全に吹き飛んだ。フアン・イバニェス監督(1938-2000)の第一回長編で、若い金持ちカップルが真夜中にひょんなことから4人組の風来坊たちと出会い、不思議な一夜を過ごすというもの。

カップルが聞かれたくない時に英語で話すのに少し驚くが、要は従来のエスタブリッシュメントが通用しない新しい自由な世界を見せる映画だった。ロケが中心だが演出は普通で、4人組のいかにもな描写に最初はかなり退屈した。

 

 

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