『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の正面突破
ジェームズ・マンゴールド監督の『名もなきもの/A COMLETE UNKNOWN』を劇場で見た。中条省平さんの最終講義の冒頭で触れられていたら、おもしろそうに思えた。見ると、「どう見てもティモシー・シャラメなのに、ふとボブ・ディランに見えてしまう」と彼が言った言葉通りだと思った。
ジェームズ・マンゴールド監督の『名もなきもの/A COMLETE UNKNOWN』を劇場で見た。中条省平さんの最終講義の冒頭で触れられていたら、おもしろそうに思えた。見ると、「どう見てもティモシー・シャラメなのに、ふとボブ・ディランに見えてしまう」と彼が言った言葉通りだと思った。
「今日はもう1万歩」などと言ってスマホを見せる人の気持ちがわからなかった。万歩計なんて、本当に暇な人のものだと思っていたが、何と私もハマってしまった。職場の毎年の健康診断結果をスマホで遡って見ることができるというので、深く考えずにアプリを入れたのがきっかけだった。
アカデミー賞で作品賞を含む5部門受賞の『ANORA』を劇場で見た。悪趣味でほとんど映画になっていなかった『ブルータリスト』よりはもちろんずっといいが、私にはかなり単調に思えた。最初に高級ストリップクラブでホステスが客をもてなすシーンがえんえんと続き、場面ごとにトーンを決めて同じネタやギャグを繰り返す。
池袋の三省堂書店で『名医が教える飲酒の科学』を手に取ったら買ってしまった。目次を見たら「なぜ酔っぱらっても家に帰れるのか」とか「酒乱かどうかの決め手は「記憶の飛び」」など書かれていたから。
根岸吉太郎監督の『ゆきてかへらぬ』を劇場で見た。昔と違って今は封切り後ひと月たつと上映館や時間が少なくて探すのに苦労したが、小林秀雄と中原中也の話だし、久しぶりの根岸監督なので見たかった。
先月から「ブリティッシュ・ノワール映画祭」をやっている。「ブリティッシュ・ノワール」というのは、1940年代からのアメリカの「フィルム・ノワール」や戦後のベッケルやメルヴィルらのフランスのギャング映画に比べると、知られていない。少なくとも私は全く知らなかった。ためしに代表作という『日曜日はいつも雨』(1947)を見て驚いた。
先日、学習院大学に中条省平さんの最終講義を聴きに行った。いわゆる最終講義にはほとんど行ったことがなく、数年前の早大の武田潔さん以来か。考えてみたら、お二人とも1984年夏から1年間の私のパリ留学中に知り合った。
アラン・レネの『ジュテーム、ジュテーム』(1968)を劇場で見た。これは昔、フランス留学中に見たはずだが、寝てしまった記憶しかない。日本の映画館で上映するのはたぶん初めてなので、見に行ってみた。
4月13日までサントリー美術館で開催の「没後120年 エミール・ガレ 憧憬のパリ」展を見た。北フランスのナンシーに住み、何度かのパリ万博を始めとしてたえずパリで作品を見せて売ってきたという観点からガレの全体像を見せるものだ。
「フレデリック・ワイズマンのすべて」と題して、彼のドキュメンタリーで現在上映可能な44本すべてが昨年12月からこの3月末まで上映中だ。私は特に初期はあまり見ていなかったので、空いた時間を見つけてときどき出かける。
東京都現代美術館の「音を視る 時を聴く 坂本龍一」展が異様なほど賑わっている。あの館のこれまでの最高入場者は1996年に私が担当した「ポンピドー・コレクション展」で確か30万人を超したが、今回はそれを越す勢いという。これがわからない。
私が中学生の頃、「ギャラーン、シグマー!」と最後に高らかに叫ぶ車のCMがあった。シグマはΣという中学生にとって謎の文字で、この車に乗ると夢の世界へ行けるような気がした。今考えると、1970年代後半で日本の高度成長期の最後のあたりの輝きだったようにも思える。
「『ブルータリスト』がわからない」と書いた後に思いだしたのは、昔、「朝日」の同僚だった記者のこと。彼は少しでも難しい映画は嫌いで「わからない」と正直に言っていた。今、世界に必要なのは「わからない」と言う勇気なのかもしれない。
ブラディ・コルベット監督の『ブルータリスト』を劇場で見た。ベネチア国際映画祭で監督賞だし、アカデミー賞10部門ノミネートだし(3部門受賞)、3時間35分の長尺というのも気になった。結果は私にはかなり退屈で悪趣味な映画に思えた。
昔、「ミロを見ろ」というオヤジギャグがあった。東京都美術館で始まったばかりの「ミロ展」は、久しぶりにその言葉を思い出させたくらい「見るべき」展覧会だ。100点ほどだが、20代半ばの初期作品から晩年の大作までまんべんなく並んでいる。
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