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2025年4月 1日 (火)

ヒルマ・アフ・クリントの暖かさ

東京国立近代美術館は、ときどき私が全く知らない美術作家の個展をやる。6月15日まで開催の「ヒルマ・アフ・クリント展」がそうで、この画家は全く名前を聞いたことがなかった。1862年生まれのスウェーデン出身で、カンディンスキーやモンドリアンの同時代人という。つまりは最初の抽象画家世代である。

これが見てみるとなかなかいい感じで、いくつもの円や模様を淡い色で見せて全体に暖かい優しさが満ちている。このある種の調和感覚は何だろうかと思ったら、この女性画家は神秘主義思想や交霊術に染まっていたらしい。確かに宗教的な、曼荼羅みたいな宇宙的幻想が感じられる。

カンディンスキーやモンドリアンと同時代人で、まだフォーヴィスムやキュビスムが生まれる前にいつの間にか抽象絵画を描いていたというのはよくわかる。しかしこの画家は、最後までスウェーデンに留まり、そういう前衛的な芸術運動と全く係わりを持たなかったこと。

カンディンスキーはロシアに生まれてドイツで活躍し、ナチス到来によってフランスに渡る。いわば完全に20世紀美術の文脈のなかであの抽象絵画を描き続けた。モンドリアンはオランダに生まれて絶えずパリと行き来した。だからこの2人の絵は個性的でありながら、どこかに今の「現代美術」につながる普遍性がある。

ヒルマ・アフ・クリントの絵はもっと具体的な何かがあって、描くものは抽象的ながらもどれもどこか「訴え」がある。例えば代表作の10点組の大きな絵画《10の最大物》(1907)は、幼年期に始まって老年期までを綴る。

それは幼い頃の無限の感覚、少年期の憧れや恐れ、青年期の野望や落胆、成人期の不満や幸せ、老年期の安定と不安などがオレンジを中心にした色彩と丸や四角で表されている。具体的に何かを描いたわけではないが、それぞれの絵が訴えたい気持ちは十分に伝わってくる。そのストレートな表現は見てよかったと思った。

東近美は「企画展」を見終わるといつも「常設展」を見る。ここで定番の作品を見るとなぜか安心するのは、都現美も同じ。今は「春まつり」ということで3階の一部には川合玉堂の《行く春》(1917)など、春にちなんだ作品も並んでいた。

同じ3階の奥にはいつも戦争画が壁を埋め尽くしている。フジタの《血戦ガダルカナル》(1944)の密度の濃い迫力にはいつ見ても心が動くし、向井潤吉や小磯良平といった「巨匠」がいかにもなプロパガンダ絵画を残しているのを見ると考えこんでしまう。

ヒルマ・アフ・クリントの時空を超えた純粋な色と形の追及を見た後だけに、同じ頃の近代日本美術の波乱万丈の歴史は生々しすぎる。

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