『ウリリは黒魔術の夢をみた』の「ギャラン・シグマ」
私が中学生の頃、「ギャラーン、シグマー!」と最後に高らかに叫ぶ車のCMがあった。シグマはΣという中学生にとって謎の文字で、この車に乗ると夢の世界へ行けるような気がした。今考えると、1970年代後半で日本の高度成長期の最後のあたりの輝きだったようにも思える。
私の記憶の奥底に封印されていたこのCMが蘇ったのは、4月5日公開の『ウリリは黒魔術の夢を見た』の試写を見たから。何と現代のフィリピンの映画にこの車がまるで主役のごとく出てくるのだ。日本の半世紀前の車が現役で活躍し、リスペクトされているとは。
ある女は死ぬ前に、自分の息子ウリリにこの車を残す。そしてウリリはこの車に乗りながら成長し、アメリカのバスケットボール選手を目指す。彼の叔父はこの車を、「1976年に売り出した日本車で評判がよかった。もはやクラシックだよ。CMもかっこよかった」と説明する。フィリピン人は何と義理堅いのだろうか。
三菱ギャランが日本文化かわからないが、ウリリがアメリカに行くことを夢見るように、外国というものがフィリピンでは特別の意味を持つのかも。バスケットボールのアメリカ人コーチがスカウトに来ると、県知事が同席するのだから。ウリリにとってはスカウトされることだけが、不幸な人生から抜け出す道だった。
ウリリは高校のバスケットボールでナンバーワンの選手だが、黒人ということでコーチは仲間外れにして試合に出してくれない。そこでウリリの父親がアメリカの黒人兵だったことがだんだん明らかになる。この明らか過ぎる差別はいまどき何だろうか。そもそも舞台はかつてアジア最大のアメリカ海軍基地があった場所だという。
フィリピン映画を見ればわかるが、タガログ語に頻繁に英語が混じる。この映画もそうで、スペインに続くアメリカの長年の支配によって一見半植民地のように見える状態が、日常なのだ。そしてそれだけではない。冒頭、母親は何やら黒魔術のようなカルト集団の中で、息子の将来のために自ら命を絶つ。息子は母の血にまみれて祝福される。
フィリピンの呪術的な世界が映画全体を支配する。ウリリは叔母ロシェルが育て、ウリリが困った時に叔父ルイスは助ける。この親族愛はどこかいびつだし、ルイスが連れてゆく会社(?)は麻薬の取引をやっているようで怪しげだ。ここで麻薬もプラスされる。
さらにウリリは若い娘、モーリーンと愛し合う。彼女は身ごもるが、足を故障したウリリの将来を悲観して思い切った行動に出る。その後のウリリの行動にもやはり呪術的な何かを感じる。
植民地、外国への夢、人種差別、呪術にドラッグも混じり合いながら、ウリリの青春ドラマは進む。その象徴がギャラン・シグマ。これがすべて白黒なだけに強烈な印象を残す。監督のティミー・ハーンの3本目の長編というが、同じフィリピンの巨匠監督ラヴ・ディアスをもっと極端に濃縮した感じだった。
それにしても、「ギャラン・シグマ」とは。今の60歳以上なら、あの感覚がわかると思う。配給の方から聞いたが、この車は監督の友人のおばあさんが結婚する時に、ブライダル・カーとして買ってもらったものらしい。日本の中古車がフィリピンで売られたなどというケチな話ではない。どんなに高かっただろうか。それを考えたら、また見たくなった。
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