「わからない」シリーズ:その(3)坂本龍一展
東京都現代美術館の「音を視る 時を聴く 坂本龍一」展が異様なほど賑わっている。あの館のこれまでの最高入場者は1996年に私が担当した「ポンピドー・コレクション展」で確か30万人を超したが、今回はそれを越す勢いという。これがわからない。
正直に言うと、坂本龍一の展覧会の中身にさほど期待できないことは、元ランカイ屋としては見なくてもわかる。しかしそんなに人が集まる展覧会というのに興味はあった。ましてや自分がポンピドー展や田中一光展で知り尽くした都現美だから気になった。
「朝日」の後輩に聞くと、平日の朝1番か夜間開館がかろうじて並ばずにすむとのこと。そこである平日の朝行ってみた。10時開館で5分前に着いたら、チケットを持っている人がたぶん300人くらい列をつくっていた。久しぶりにある種の熱気のようなものがあった。
どうも10時少し前から開けたようで、列はどんどん動く。たぶん10時5分くらいには入場できた。入るとものすごい人がいて、大きなスクリーンに見入っている。何やら小説が朗読され、水が流れる映像と笙の音。その思わせぶりでもうダメだと思う。
クレジットを見ると高谷史郎との共作で、会場で配っている案内図を見たら実はこの展覧会のおよそ半分がそうだった。高谷は京都のパフォーマンス・グループ(?)、ダムタイプのメンバーで私は1980年代から彼らの作品が苦手だった。デジタルに支配される現代人像を見せて自慢している感じがして、引いてしまった。
どうも高谷の映像は今も同じイメージのようで、私にはかなり古く見えた。あえて言えば、地下の横に長い映像インスタレーションが少しだけ刺激があった。「アーカイブ」というアナログなコーナーがあって、かつて新聞社で私の同僚がやっていた坂本オペラ『LIFE』の資料は懐かしかった。
岩井俊雄がかつての共作を再現して、若い坂本龍一がピアノを演奏している姿も心に残った。それから野外の中谷芙二子の霧の彫刻は本当に寒い気温にぴったりでよかったが、坂本の音楽はあまり聞こえなかった。
何より、一つ一つの映像にぴったりとくっついて何時間も過ごす若者たちの姿は異様だった。まあ、デジタル的な「刺激」に浸るだけという意味では、一日中スマホばかり見ているのと同じなのかもしれないが。
その後に「MOTアニュアル2024 こうふくのしま」はガラガラだったがなかなか刺激的な内容だったし、もっと人がいない(坂本展のチケットがあれば無料なのに)常設展はイケムラレイコなど本当にたっぷり見ごたえがあった。こちらについては後日書く(かな)。
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