日本のガレを考える
4月13日までサントリー美術館で開催の「没後120年 エミール・ガレ 憧憬のパリ」展を見た。北フランスのナンシーに住み、何度かのパリ万博を始めとしてたえずパリで作品を見せて売ってきたという観点からガレの全体像を見せるものだ。
最初、なぜ「日本への憧憬」ではないのかと思った。ガレのガラス作品が日本美術に大きな影響を受けたことは有名だ。実は昔、ランカイ屋だった頃に「ナンシー派展」という展覧会をやったことがある。ナンシー市立ナンシー派美術館が所蔵作品を貸し出すというので、それを持って来て東急文化村ほかで巡回した。
文化村の次は石川県美、そして大阪のサントリー・ミュージアム、最後が下関市立美術館だったが、そこはガレに大きな影響を与えた高島北海の出身地で高島の絵や所蔵品を収蔵していた。だから下関会場だけは特別バージョンで、高島北海コーナーが加わった。
そこには高島が所蔵していた膨大な名刺も展示されて、当然ながらガレのものもあった。彼がナンシー市に滞在したのは1880年代後半の3年間だが、いったいどんな影響を及ぼしたのだろうか。
さて今回の展覧会は1860年代から1904年に亡くなるまでの作品が100点強並んでいる。おそるべきはパリ装飾美術館の数点を除いて、ほとんどが日本の美術館やコレクター所蔵であるということだ。もちろん会場のサントリー美術館の所蔵がその中心で、これはパリのオルセー美術館と並び世界に誇るべきコレクションだろう。
1960年代は単に美しい花模様などを見せていたのが、70年代になると鯉や獅子、バッタや蝉など明らかにジャポニスム趣味が出てくる。高島と会う前に既に日本美術に傾倒していたことは明らかだ。そして透明な花器からだんだん濃い色のものになってゆく。ウリや蝉や草花や海藻が盛り上がった形で描かれる。
黒っぽい器や植物が大きく盛り上がった器など、もはや実用にはあまり使いたくないようなものも増える。それから色の混じり具合がどんどん深淵になる。1902年の「ひとよ茸」というランプは完全に茸が3本立った形で、もはやオブジェに近い。夜中に部屋に入り、このランプを見たら怖いかもしれない。
それにしても日本人はなぜそんなにガレを買ったのだろうか。実は私には買う気持ちがさっぱりわからない。それはともかく、ガレの本物をこれだけ見るとかなり圧倒される。
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