わからないシリーズ:その(4)『BAUS 映画から船出した映画館』
昔、吉祥寺に「バウスシアター」という映画館があった。私は大学を出てから上京して最初は練馬区の端にある関町に住んだが、そこからバスで吉祥寺に近かったので、よく行った。映画館と周辺一帯に中央線独特の妙な匂い(?)があって、田舎から出てきた者には微妙な感じだった。
バウスシアターはおそらく21世紀になってからは行っていないが、「爆音映画祭」をやっている話は聞いていた。今回、その映画館をテーマにした劇映画というので興味が湧いた。監督の甫木元空の映画は見たことがないが、青山真治監督の教え子でこの映画の脚本は青山さんが書いていたというのも気になった。
冒頭、老人が出てきて井の頭公園で自分の「バウスシアター」が閉館になることを独り言のように語る。それから時代は飛んで1927年の青森。『カリガリ博士』を見ているサネオ(染谷将太)。兄のタクオ(峯田和伸)と共に漁師では食えないと上京。吉祥寺の空地に立つ映画館「井の頭会館」に勤め、タクオは弁士となる。
サネオはいつの間にか館主の娘、ハマ(夏帆)と結婚する。映画はトーキーになり、抵抗していた映画館も受け入れざるをえない。弁士のタクオには赤い召集令状が来て戦地に向かうが、戻ってこない。
ここまでが前半だが、どうも落ち着かない。まず2人の兄弟がなぜ映画館に勤めるのかわからない。映画好きというのがあまり感じられない。そのうえ、やたらにしゃべる兄のタクオが何をやりたいのかわからない。さらにサネオとハマが結婚するのも唐突でピンと来ない。そもそも空地に立つ映画館がいかにも入口だけのセットで奥行き感がない。
そして戦後、映画は大衆娯楽として大人気となり、サネオはハマとの間にできた子供を育てながら大奮闘するのだが、その大変な感じがあまり伝わってこない。すべては「何となく」過ぎてゆく感じだ。
そしていきなり、サネオの息子が大きくなって映画館を継ぎ、「バウスシアター」として再生させる。この終盤は老人の語りに実際の写真が出てくる。私にはむしろこの写真がおもしろかった。そしてなぜかエレキのコンサートで終わる。確かにバウスシアターは映画以外に音楽や落語などもやっていたが。
巷では映画好きに評判のようだが、なぜか私にはサッパリの映画だった。
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