『教皇選挙』のサスペンス
エドワード・ベルガー監督の『教皇選挙』を劇場で見た。アカデミー賞脚色賞だが、今年の受賞作では一番おもしろいのではないか。何よりもたたみかける巧みな脚本のサスペンスとそれを盛り上げる美術、そして抑制の効いた演出が際立っている。
最初は主席枢機卿のローレンス(レイフ・ファインズ)がローマ教皇の最期の場に向かうシーンから始まる。一連の儀式の後に死が公表されて、108名の枢機卿がシスティーナ礼拝堂に集まってくる。中には、直前に指名されたというアフガニスタンの枢機卿でメキシコ人ベニテスもいた。
いくつかの驚きがある。最初の選挙は一番得票を集めたナイジェリアの枢機卿だが、2/3に満たない。選挙を繰り返すうちに、この枢機卿の過去が暴露されて一位からすべり落ちる。それを仕組んだのは実は、という具合に次々と新しい事実が出てくる。さらに突然の爆破事件で礼拝堂の一部が破壊される。
2人のイタリア人俳優が重要な役割を果たす。一人は修道女を束ねるシスター・アグネスを演じるイザベラ・ロッセリーニ(アメリカ在住だが)で、全員男性の枢機卿たちに向かって「私たちには力はないが、目も耳もあります」と言い放ち、男たちが知らない真実を暴く。
もう一人はセルジョ・カステリート演じるテデスコ枢機卿でイタリア人らしく歯に衣着せぬ物言いで、40年ぶりに枢機卿はイタリアから出すべきだとか、昔の教皇の姿に戻るべきとか、保守的な発言を繰り返して盛り上げる。
考えてみたらこの映画ではさまざまな言語が飛び交う。ローレンスは英語だが、テデスコはイタリア語、ベニテスはスペイン語。イタリア語やスペイン語には英語字幕が付く。儀式の言葉はもしろんラテン語で、こちらも日本語字幕は付くが英語字幕はない。この言語の多様性は最近このブログで書いたが、ようやくアメリカ映画の常識になったようだ。
そうして誰も想像していなかった枢機卿が教皇に決まるのも驚きだが、一番最後にこの枢機卿から超弩級の秘密が出てきたのには本当に口があんぐりだった。後半、次々と隠された真実が露呈してゆく過程を仕込んだ脚本がいいし、それをさらりと見せる演出が呼応している。
結局、教皇が決まって白い煙が出るシーンも新教皇がみんなの前で初めて挨拶する見せ場もなく、遠くで聞こえる民衆の声のなかでさらりと終わる。最初に書いた「抑制の効いた演出」とはこういうことだ。
それにしても、日本人も含めて東アジアの枢機卿がいなかったのはどうしてだろうか。近年では日本人や韓国人や中国人はいつもいるはずだが。アメリカ映画の「多様性」はこの程度だ。
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