『逃走』はおもしろいか
足立正生監督の『逃走』を劇場で見た。この映画と、7月に公開される高橋伴明監督の『桐島です』が作られているというニュースを知った時、どちらも見たいと思った。それは世代的なものだろうか。私は1974年、中学生の時の三菱重工爆破事件のニュースをよく覚えている。血だらけの会社員たちが大手町のオフィス街を彷徨う光景を。
1年後、一連の事件の犯人の多くは逮捕されたが、桐島聡と宇賀神寿一の2人は指名手配され、その大きな顔写真があちこちに貼られていた。桐島の快活な笑顔と、宇賀神という漢字のまがまがしさが、高校や大学に行っていた私の記憶に残った。
宇賀神はその後逮捕され、ポスターにバツ印と「逮捕」という文字が付いた。しばらくすると桐島の笑顔の写真だけが貼られた。それから40年ほどたった昨年の正月明けに、新聞の社会面で「桐島聡か」という記事を見てびっくりした。癌で重症という。そして4日後に死んだと聞いて考えこんだ。
彼は49年間、「内田洋」といういかにもどこにもあるような偽名で、神奈川県の土木会社に住み込みで働いていたという。親しくなった女性がいたが、「自分は普通の結婚ができる人間でない」と言ったとかいくつかの報道があった。もちろん末期癌で警察の捜査には応じられなかった。
彼の人生は何だったのだろうか、と私は考えた。だからこの事件をもとに映画が2本作られると聞いて、妙に納得した。驚いたのは監督が2人とも桐島より年上だったこと。高橋監督は5歳、足立監督は15歳上だが、桐島たちがその前の世代から引きずる「革命幻想」に基づく「遅れて来た青年」であるのは明らかなので、彼らならば桐島の気持ちがわかるかもしれないとも思った。
さて『逃走』はどうだったかと言えば、それほどおもしろくなかった。特に前半の杉田雷麟が演じるパートはまるで『ゲバルトの杜』の再現部分のようで、乗れなかった。ところが20歳の桐島が古舘寛治演じる中年男と道ですれ違い、古舘によって50代以降が演じられると少しずつリアリティが出てくる。
彼は隠れて暮らしながら「逃げる」ことで自分の存在証明をしようとする。夢のなかで刑務所を出た宇賀神と話し、若い頃の同志たちに会う。ライブハウスで踊って女性と仲良くなりながらも、たまに爆破を企てる。あくまでアジアの人民との連帯を夢見ながら。そして最後に病院で死期が近いことを医者に言われて、自分の名前を告白する。この瞬間に私は心を動かされた。
元テロリストでパレスチナで20年以上過ごした85歳の足立正生は、たぶんこの映画で自分を描きたかったのだろう。今だに自分なりに革命を追い続けている生き方を見せたかったに違いない。それは十分に伝わってきた。
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