わからないシリーズ:その(5)現代美術
森美術館の片岡真美館長の講演を聞く機会があった。かつて長年、展覧会屋(ランカイ屋)をやっていたので、行政出身でない館長クラスは知り合いが多い。というか、若い頃に個性的な活動をしていた美術館学芸員は、だいたい大学教授か館長になっている。
しかし片岡氏は専門が現代美術ということもあり、全く面識がなかった。講演は基本は学生向けだったのでわかりやすかった。まず、現代美術はいつ始まったのか。多いのは1917年のマルセル・デュシャン《泉》からという考えで、磁器の男性用便器を横に倒した有名なオブジェだ。
あるいはジョセフ・コス―スがコンセプチュアル・アートの活動を始めた1965年から。人によってはアンディ・ウォーホルの《キャンベル・スープ》(1962)から。実は私はポスト印象派のセザンヌ、あるいはその後のマティスやピカソからと思っていたくらいなので、やはり古い。
そして1980年代までは現代美術は欧米が中心で、ほかの国はそれを追いかける形だった。ところが1989年以降は世界中に美術館やビエンナーレやアートフェアが広がって、中心がなくなった。今、現代美術は「世界を知るための視覚的かつ知的な想像力の遊び」となった。
ポイントは3つ。1つはいつもと違う視点があること。つまり意識の転換を促す。2つは多様な文化の美しさを見せる。3つは地球上つながっているという普遍性。片岡さんは森美術館で開催された塩田千春展をパリなど海外10カ所ほどで巡回したが、この作家には「普遍性」があるのではと言っていた。
森美術館の観客は75%が40歳以下という。これは元ランカイ屋の私からすると、すごいことだ。長年、展覧会は40歳以上を対象にしないと入らないというのが常識だったから。私は2001年に始まった横浜トリエンナーレやその前年からの越後妻有トリエンナーレなどが継続的に開かれて、現代美術の客が少しずつ増えて来たのではないかと思う。
今やビエンナーレ、トリエンナーレは日本各地にある。あるいは、1995年に東京都現代美術館、2003年に森美術館という現代美術専門の2館ができたことも大きい。片岡氏が森美術館の前に勤めた東京オペラシティアートギャラリーも、中心は現代美術だ。国立新美術館や東京国立近代美術館でも時々現代美術を取り上げる。現代美術は高齢者には受けないが、好奇心旺盛な若者にはおもしろい。
さてこの講演の後、私は森美術館で6月8日まで開催の「マシン・ラブ ビデオゲーム、AIと現代アート」を見た。これがサッパリおもしろくなかった。「想像力の遊び」は感じられないし、それ以前に造形的な美がほぼ皆無だったので困った。塩田千春でもルイーズ・ブルジョアでもボルタンスキーでもコンセプトの強さと造形的な見ごたえが両方ある。そういう私は古いのかもしれない。
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