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2025年4月11日 (金)

『ミゼリコルディア』の居心地の悪さ

アラン・ギロディ監督は20年ほど前からフランスで注目されて、海外や東京日仏学院で数本を見ていたが、日本では劇場公開されなかった。今回、3本が初めて映画館にかかるというので見に行った。『湖の見知らぬ男』(2013)は一度だけ行ったトロントで見ていたので、最新作の『ミゼリコルディア』(2023)を見た。

のっけから妙な雰囲気だ。30代くらいの男が車を運転している。着いた先には、亡くなったばかりの中年の男が横たわっていた。その妻や息子と挨拶を交わし、葬儀に参加する。そこには知り合いもいるようだ。

最初、ジェレミーと呼ばれるこの男に未亡人は泊まっていけというので親戚なのかと思ったが、亡くなった男がパン屋でどうもそこで修業した弟子だとわかってくる。そして息子のヴァンサンはジェレミーが自分の母と関係を持つのではと疑っている。

さらにヴァンサンは2人の友人で巨漢のヴァルターをジェレミーが好きになることを恐れる。そしてやたらに元パン屋の家に現れて食事を共にする司祭は、どうもジェレミーが気に入ったようだ。ジェレミーはいつまでたっても、未亡人の家に泊まる続ける。そしてヴァンサンの怒りが爆発する。

つまり、ジェレミーという男が闖入して3人の男女がその虜になってしまう話。確かに魅力あふれるジェレミーに比べたらヴァルターはいかにも粗野な感じだし、カトリーヌ・フロ演じる母親は美魔女のような気持ちの悪さがあり、司祭はいかにも古くさいオヤジ顔でみんな醜悪だ。

私は見ながらピエル・パオロ・パゾリーニの『テオレマ』(1968)を思いだした。あの映画でもテレンス・スタンプ演じる青年がやって来て、一家全員を誘惑する。男性同士の愛があるところも似ている。

違いは、この映画はどこか「ありえない」感じに満ちていること。まさかと思うような性的なつながりがあちこちで露呈する。そのうえ、ほとんど悪趣味のようにあえて大きくなった陰部を2度も見せる。ひょっとしてこれはすべてジェレミーの妄想ではないかとさえ思えてくる。それくらいジェレミー以外はグロテスク。

人間関係をめぐる虚と実が殺人にまで発展することもありえない。男女の警察官が出てくるが、このコンビもどこか間が抜けていて、特に男性の捜査はやりすぎだ。こんなことはありえないと最初はシニカルに構えるが、だんだんおかしくなってくる。そして見終わるとどこか寒々とする。好きな監督ではないが、明らかにほかの映画では見たことのない個性が光る。

 

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