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2025年4月19日 (土)

『ヌーヴェル・ヴァーグ』という本を出す:その(1)

4月17日刊で集英社新書から『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』を出した。前著の『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』を同じ集英社新書から出たのが2023年2月だから、2年2ヵ月かかったことになる。

もともと『イタリア名画120年史』を書いたのは、2020年5月に新潮新書から出した『美術展の不都合な真実』がきっかけだった。これは面識のない新潮社の編集者から突然お手紙をもらい、目次もできていて言われるがままに書いた本だった。

その内容は、日本における美術館の歴史と現状、そして展覧会の作られ方を解説したものだが、見方によっては「美術展」の内幕をばらす、いわば暴露本だ。私はそれまでの著作は単独の本は翻訳が『魔術師メリエス』の一冊あるだけで、ほかは「共著」がたくさんあった。共著は編者や編集者に頼まれて書いたものばかり。

長年、黒子として美術展や映画祭を作る仕事をしてきたので、文章を依頼する側ではあっても、自らを筆者と考える習慣がなかった。それは大学に行っても続いた。ところが初めて書いた単独の著書が売れていくつか取材も入り、NHKにも出た。3刷まで行くと「『美術展の不都合な真実』の著者」となってしまった。

60歳が目前だった私は、「まずい」と感じた。今死んだら、美術展の暴露本の著者になってしまう。そこで慌ててイタリア映画史の企画書を作り、各社新書編集部に送った。幸いにして集英社新書に拾ってもらい、本になった。イタリア映画史単独の本は1953年の飯島正氏の『イタリア映画史』以降一冊の厚い翻訳を除くと出ていないため、いわば「教科書」になるように書いた。

するとあと一冊、もっと自由に書きたいと思った。集英社新書の担当者に『ヌーヴェル・ヴァーグ』の企画書を送ったのがイタリア映画の本から半年たった2023年の8月初旬。その月末には「企画、通りました」と返事が来た。それから忽然と本を書き始めた。

すると時間がないことに気がついた。そこで9月22日にこのブログの毎日の更新をやめた。14年半続けたのに。ひとえに『ヌーヴェル・ヴァーグ』を書くためだった。それからはフランスやアメリカにDVDと本を注文して、ガシガシ書き始めた。

一応「あとがき」以外を書き終えたのが2024年の7月末だから、10カ月かかった。有名な著者でもないし、『イタリア名画120年史』も増刷にならなかったので、それからは刊行日の順番待ち。その間あとがきを書き、何度も何度も手直しをした。4月刊が決まったのが2月で、その時点でもう一度手を入れた。

イタリア映画と違って「ヌーヴェル・ヴァーグ」は詳しい方が多い。出す前の数カ月は戦々恐々だったが、いざ新聞広告が出て書店に本が山積みになると単純に嬉しい。神保町のシェア型書店『猫の本棚』では、1割引きでサイン本を販売中。

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