連れだって歩く人々
3月末は大学は春休みで桜の花見もあって、自宅の周辺をよく歩いた。住んでいるマンションは現在、改装工事中で、中にいると暗いし物音がするしで不快度が高い。そのうえ、万歩計を始めたこともあった。歩く、歩く。
そこで歩きながら考えたのが、一緒に連れだって歩く人の組み合わせだ。一人で歩く人よりも、誰かと歩く人が多い。もちろん昼間に花見や買物をしている人々はある程度生活に余裕があるのだろうが、それでもいろいろなパターンがあることに気がついた。
楽しそうなのが、母娘の組み合わせでこれは双方の信頼関係がとにかく強い。ところが顔や雰囲気を見ると、かなり違う。だいたいお母さんは上品で目鼻立ちのいい人が多いが、娘はそうとも限らない。娘はむしろ勝気で自分中心な感じが多い。
これはひょっとして、都会の美女が田舎から出てきた野心たっぷりの出世主義のむくつけき男と結婚して生まれた娘ではないかと勝手な想像をする。今では人間を美醜で表現するのは「ルッキズム」として批判されるが、心の中で思う分にはかまわない。顔は大事だ。
人間に美醜はある。それは時代によって異なるが、それでも日本画などを見ていると共通の「美」はあるような気がする。そんなことをぼんやり考えながら歩いていたら、今度は男女のカップルが気になりだした。
年を取った男女は、驚くほど似ている。「似たもの夫婦」という言葉があるが、顔は違っても着ているものやそれ以上に醸し出す雰囲気に決まったトーンがある。派手な2人もいれば、地味な者たちもいる。幸せそうな組み合わせも、あまりそうでなさそうな2人もいるが、よく似ている。
同じ家に住んで同じものを食べて同じテレビ番組を見れば、たぶん似てくる。顔や歩き方もだんだん近づいてくるのかもしれない。年輩の2人だと会話もあまりないが、相手を空気のように感じているのかもしれない。老いて仲の悪い男女は一緒に歩かないだろうから、そもそも歩いているのは仲良しの人々だろう。
たまに年輩の男女でも手をつないでいる場合がある。これは怪しい関係なのではないかと私は睨んでいるが、さすがに聞けないのでわからない。そういう男女はよく見ると、あまり似ていない。そのうえ、男女ともどこかギラギラしている。まだまだこの先がある感じか。
そんなどうでもいいことを考えながら江戸川橋近くを神田川沿いにを歩いていると、すぐに5千歩になる。今年は珍しく4月になっても寒かったが、もう春だ。
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