『サブスタンス』は面白いか
フランスのコラリー・ファルジャ監督がデミ・ムーアを主演に撮った映画『サブスタンス』を劇場で見た。予告編でかなりグロテスクな感じがあったので、半分は怖いもの見たさ。去年のカンヌの脚本賞というのも興味があった。
フランスのコラリー・ファルジャ監督がデミ・ムーアを主演に撮った映画『サブスタンス』を劇場で見た。予告編でかなりグロテスクな感じがあったので、半分は怖いもの見たさ。去年のカンヌの脚本賞というのも興味があった。
「映画」と「入門」という2つの言葉が入った分厚い本を2冊読んだ。昨年出た高良和秀編著『映画技術入門』と一昨年出たパオロ・ケルキ・ウザイ著、石原香絵訳『無声映画入門 調査・研究、キュレーターシップ』。大学で16年も教えてきたのに今さら映画の入門書とはと思われるかもしれないが、私にはどちらもおもしろかった。
だいぶ前に国立映画アーカイブで見た島津保次郎監督の『愛よ人類と共にあれ』(1931年)について書いておきたい。サイレント作品で上映時間は241分=4時間強。同じ1931年から翌年にかけて公開された清水宏の『七つの海』も同じくらいの長さだから、サイレント末期の蒲田撮影所では大河ドラマの長尺ものが流行っていたのか。
いつの間にかこの5年のうちに新書を3冊書いた。10万字、13万字、15万字と少しづつ厚くなったが、どれも書くのに半年強であまり時間がかからなかった。長年新聞社に勤めて、大学に移ってからも短い文章を新聞や雑誌や映画パンフに書いていたから、いわゆる研究書や論文を書くよりも新書は私には向いているかも。
佐古忠彦監督のドキュメンタリー『太陽(ティダ)の運命』を劇場で見た。この監督は『米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー』(2017)を見て強く心を動かされた。TBSの監督だから今回も映画のトーンはテレビ調なのだが、それでもTBSと系列の琉球放送(RBC)が持つ映像を駆使して語られる沖縄の現代史に文字通り圧倒された。
アルゼンチンのラウラ・シタレラ監督『トレンケ・ラウケン』を劇場で見た。題名からして訳がわからないし(実は映画に出てくる地名)、二部に分かれて計4時間20分。冒頭に2人の中年男が出てくる。面識がないようだが「ラウラを一緒に探そう」。2人の間には妙な雰囲気が漂う。
東京都現代美術館で「岡崎乾二郎 而今而後 ジコンジゴ」展を見た。岡崎乾二郎氏は、私が現代美術を見始めた1980年代後半には既に有名だった。当時ベネチア・ビエンナーレなど海外に出始めた若手の作家たちより少し年上で、何より弁の立つ理論家という印象があった。
レオス・カラックス監督の『IT'S NOT ME イッツ・ノット・ミー』を劇場で見た。42分しかなく、これでシニア料金1200円は高いと思ったが、カラックスがゴダール風の作品を作ったというので見たくなった。
イタリア映画祭は、開催時期、場所、規模(本数)など私が2001年の始めた時からほとんど変わっていない。ついでに言えばチラシやパンフのデザイナーや判型、印刷会社まで同じ。作品選択のテイストまで私が選んでいた時とかなり似ている気がする。
アーティゾン美術館は、今一番いい時間を過ごせる都心のスポットではないだろうか。銀座や日本橋に近い場所に広めの空間が3フロアーあって、おおむね5、6階が企画展で4階が常設で、見終わるといつも深い充実感を味わう。
もうイタリア映画祭はとっくに終わったが、メモとして書いておきたい。マルコ・トゥッリオ・ジョルダーナ監督は、『ペッピーノの百歩』(2000)と『輝ける青春』(2003)がとにかくすばらしかった。前者は2001年の第一回のイタリア映画祭の初日の夜に上映された「オープニング作品」だった。
アントワーヌ・ド・ベック&ノエル・エルプ『エリック・ロメール ある映画作家の生涯』を読んだ。実は4月17日刊の拙著『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』で2度引用しているが、最初は仏語の原著を自分で訳していた。ところが去年の12月に翻訳が出たのを知り、3月の再校の段階でそちらからの引用にした。
少し前になるが、ポン・ジュノ監督の『ミッキー17』を劇場で見た。彼がアメリカで作った『スノーピアサー』や『オクジャ』が私には母国で撮った『グエムル』などに比べてどこか絵空事に見えたので、どうしようかと思っていたが、予告編で見たくなった。
イタリア映画祭が25年目という。私が2001年に始めた映画祭だが、こんなに続くとは思わなかった。「私が始めた」と書いたのは誇張ではない。イタリア大使館から、2001年に「イタリア年」をやるので美術、音楽、映像などの企画を出して欲しいと言われたのが、その2年以上前だったと思う。
森美術館の片岡真美館長の講演を聞く機会があった。かつて長年、展覧会屋(ランカイ屋)をやっていたので、行政出身でない館長クラスは知り合いが多い。というか、若い頃に個性的な活動をしていた美術館学芸員は、だいたい大学教授か館長になっている。
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