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2025年5月17日 (土)

現美の岡崎乾二郎展など

東京都現代美術館で「岡崎乾二郎 而今而後 ジコンジゴ」展を見た。岡崎乾二郎氏は、私が現代美術を見始めた1980年代後半には既に有名だった。当時ベネチア・ビエンナーレなど海外に出始めた若手の作家たちより少し年上で、何より弁の立つ理論家という印象があった。

ところがその後、舟越桂、宮島達男、森村泰昌、村上隆、会田誠といった作家たちが海外に出たり国内で大きな個展を開くのに、岡崎乾二郎の作品は海外のビエンナーレなどにも出ないし国内の美術館でもきちんと見る機会はほとんどなかったように思う。

横浜を始めとするトリエンナーレや越後妻有のような地方の芸術祭にも出ていなかったのでは。ところがある時雑誌で浅田彰と対談をしていたり、何度目かのマティス展のカタログに難しい文章を寄せていたり。私は勝手に、もう美術作品は作っていないのかと勘違いしていた。

ところが今回の個展を見てびっくり。最初は80年代の《あかさかみつけ》など地名を題にした壁掛けの半立体のような作品の連作があった。日本の都市のある部分を鋭敏な感覚で切り取って色彩を交えた造形は、ある種の都市論のようでかっこよく見えたものだ。

しかし同じような作品が無限に並ぶ。90年代は少なく、いつのまにか2000年代になって、平面作品で色彩の切れ味は増してゆく。これまた似たような作品がえんえんと並ぶ。そのうえ、作品には作家によるずいぶん長い解説があるが、これがまた難しい。時には英語のみ。

会場は1階と3階だが、3階は2020年代のみでこれまた繰り返しのイメージ。途中で病気で倒れて手足が動かせなくなったという時期も示されているが、それでも弱い筆致ながら描き続けている。そして突然、白い人口大理石がごろりと並ぶ彫刻。どれも強烈なのだが、繰り返しのイメージと難解な解説がからまって、もうお腹いっぱいという感じ。

その後、地下で「サウンドウォーク・コレクティヴ & パティ・スミス|コレスポンデンス」と「ハン・ネフケンス財団との共同プロジェクト シャハナ・ラジャニ」を見たが、私には意味不明。映画を専門としている私は、美術館の映像展示が多くの場合さっぱりわからない。

その後、奥の常設展で「開館30周年記念」の「9つのプロフィール 1935>>>2025」を見た。いつもここの常設は特定のテーマで興味深いが、今回は総花的に多くの作り手の作品を時代ごとにまんべんなく所蔵品で見せているので、教科書のようだ。「9つのプロフィール」とは9つの時代だが、私にとっては一番現代美術を見た時代、つまり1985>>>1994が一番おもしろかった。

吉田克朗、辰野登恵子、森村泰昌、小林正人の4人の平面作品は、あの「バブルの時代」の反映と抵抗の記録として胸を打たれた。岡崎乾二郎展と常設展は7月21日まで、地下の映像展示は6月29日まで。それにしても、開館30年とは。時は過ぎゆく。

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