25年目のイタリア映画祭:その(3)
イタリア映画祭は、開催時期、場所、規模(本数)など私が2001年の始めた時からほとんど変わっていない。ついでに言えばチラシやパンフのデザイナーや判型、印刷会社まで同じ。作品選択のテイストまで私が選んでいた時とかなり似ている気がする。
私は2007年まで翻訳家の岡本太郎氏と2人で作品を選んでいたが、おおむね岡本さんが自分のスタイルを持つ監督の作品を選び、私が娯楽作品や新人の作品から秀作を探した。結果として一般受けする作品と映画好きに好まれる作品の両方が揃ったが、この傾向は現在一人で選んでいるMさんも引き継いでいる。
今回は本を出したばかりで気分的に余裕があったので6本を見た。『狂おしいマインド』は一般向け娯楽作品、『戦場』と『ヴェルミリオ』と『動物誌、植物誌、鉱物誌』は作家性の高い作品、『隣り合わせの人生』と『ディーヴァ・フトゥーラ』はその中間で訴えたいテーマはあるが、ソフトに見せる。
ここで触れていない映画では『ディーヴァ・フトゥーラ』がよかった。これは実在のポルノ映画プロデューサー兼監督と女優たちを女性秘書の目から暖かく描いた作品。監督は1982年生まれの女性、ジュリア・ルイーズ・スタイガーウォルトで、1992年にデボラが「ディーヴァ・フトゥーラ」社に秘書として採用されてから去るまでの10年を中心にその後の10年も見せる。
リッカルド・スキッキは後に国会議員になるチッチョリーナ、30代で癌でなくなるモアナ、彼と結婚するエヴァらを次々にスターにしてゆく。彼は自分中心だが女性に優しく、いつも女性たちが寄ってくる。そんな彼もだんだん病気になり、かつ警察から逮捕される。終盤、何とも言えない悲しい気分になった。これは今回の映画祭で一番公開可能な作品ではないか。
マッシモ・ダノルフィとマルティーナ・パレンティの共同監督『動物誌、植物誌、鉱物誌』は206分のドキュメンタリー。要するに人間が動物や植物や鉱物といかに生きて来たか、それらに比べて人間がいかに小さな存在かが示される。
3部構成で各1時間強。「動物誌」はアーカイヴ映像が中心で人間がいかに動物をいじめてきたかが見せられて、正直つらかった。「植物誌」は16世紀に作られた世界最古の植物園であるパドヴァ大学植物園が中心となる。こちらは職員の地味な日々が見せられるが、気持ちがいい。地球の生物の99.7%が植物であり、動物は0.3%に過ぎないと何度か語る。
「鉱物誌」の冒頭で工事現場に運ばれる石が出たところでトイレに行きたくなり、そのまま出てしまった。興味深い作品ではあったが。この映画は「作家性」とは違うので岡本さんは選ばないが、私ならば入れただろう。
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