25年目のイタリア映画祭:その(2)
もうイタリア映画祭はとっくに終わったが、メモとして書いておきたい。マルコ・トゥッリオ・ジョルダーナ監督は、『ペッピーノの百歩』(2000)と『輝ける青春』(2003)がとにかくすばらしかった。前者は2001年の第一回のイタリア映画祭の初日の夜に上映された「オープニング作品」だった。
その後の作品は正直なところいつも少し期待外れだが、人間の内にこもった情念を描くことにおいてはやはり一流の監督だ。今年の映画祭で上映された『隣り合わせの人生』は、生まれつき頬に赤いあざのある娘とその母親を中心に描く。
物語としては、娘のレベッカはピアニストになることで逆境を乗り越えるわけだが、そこに至るまではあえてグダグダに作られている。舞台は北イタリアのヴィチェンツァで、医師で優しい夫と豪邸に暮らすマリアは子供ができたと知って大喜び。ところが子供のあざを見てからは、明るい色の服をすべて捨てて家に引きこもる。
そればかりか娘を恥じて学校にさえ行かせようとしない。豪邸の上の階に住むエルミニアは夫の双子の姉で、なんとかレベッカを学校に行かせる。レベッカはピアノに生きがいを見いだすが、ある時母親は絶望のあまり窓から飛び降りて自殺する。音楽学校でレベッカは陰惨ないじめにあう。
そんな嫌な感じの場面が続きながらも、父と叔母の励ましで卒業試験に合格すると、なんとあざは消えてしまった。そんなことはあるまいと思うけれど、普通にはついて行きにくい物語を、あえて不快な場面や意味のわかりにくいシーンも加えながら最後まで優雅に見せてゆく。
マウラ・デルペーロ監督の『ヴェルミリオ』は、第二次世界大戦末期の北イタリア・トレンティーノの村「ヴェルミリオ」が舞台。村一番のインテリ、チェーザレは学校で教え、社会人向けの教室も開いている。子供も大勢で、映画の中で10番目が生まれる。その村にシチリア出身の脱走兵・ピエトロがやってきてチェーザレは匿う。
ところがいつの間にかピエトロと長女のルチアは仲良くなり、ピエトロはチェーザレに結婚したい旨を述べる。二人は結婚して戦争が終わり、ピエトロはいったんシチリアに帰るが、戻ってこないし手紙もない。ある時、チェーザレの死が新聞に載る。ドラマチックな設定だが、映画はあえて説明を避けて最小限のカットで恋愛の進行を見せる。
むしろ出てくるのは貧しい村人の日常であり、大家族の暮らしぶりだ。そしてヴィヴァルディの『四季』を始めとしてクラシック音楽が実に痛切に響く。映画祭カタログに「エルマンノ・オルミの再来」とベネチア映画祭ディレクターが言ったと書かれているが、このミニマルな美学を見ていると納得する。実力派の女性監督登場である。この映画を見て、配給会社の友人が「岩波ホールがあったら封切れたのに」と言っていた。確かにその通り。
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