『イッツ・ノット・ミー』に当惑
レオス・カラックス監督の『IT'S NOT ME イッツ・ノット・ミー』を劇場で見た。42分しかなく、これでシニア料金1200円は高いと思ったが、カラックスがゴダール風の作品を作ったというので見たくなった。
結果は、いいような悪いような。個人的には彼の最近の長編、例えば『ホーリー・モーターズ』や『アネット』を見る方が何倍もいいと思った。それらはカラックスにしかできない「映画の現在」があったから。
今回の『イッツ・ノット・ミー』は確かにゴダール風だ。多くの作品やニュース映像が断片的に引用がされて、監督のダミ声が響き、大きな活字の文字が画面に現れる。特に映画の古典作品がよく出てくるあたりはゴダールみたいだ。しかし「みたい」というだけで、ゴダールの独特の優雅さや切実さはなく、40分が限界。
たぶん今のフランスの作家色の強い監督ならば、フランソワ・オゾンでもアルノー・デプレッシャンでも似たような作品は作れるだろう。だけどそれはやらないのが常識だが、カラックスはあえて「ゴダールみたい」なものを真面目に作ってしまった。
たぶん10本を超す過去の作品の引用で、私が記憶しているのはルビッチの『結婚哲学』(1924)とヴェルトフの『カメラを持った男』(1929)とムルナウ『サンライズ』(1927)だろうか。どれもゴダール作品に出てきてもおかしくない。
逆にゴダールと違ったのはカラックスは自作の引用が多かったこと。特に『汚れた血』や『ポンヌフの恋人』のジュリエット・ビノシュのショットが強い印象を残す。そのうえ「自分は主観ショットを撮ったことがない」と言いつつ「一度だけあった」とビノシュの顔をアップで写すのだから。
この映画で心が動かされるのはこのビノシュと、最後に出てくる「ベビー・アネット」が3人の黒子に操られながら踊るシーンかもしれない。『汚れた血』のドニ・ラヴァンがデヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」に合わせて踊るシーンの再現を人形でやるとは。
見て損をしたとは思わない。だが今後もカラックスがこの路線を続けるのは断じて止めて欲しい。こんな安易にノスタルジーに訴えるのは、退廃ではないか。
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