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2025年6月17日 (火)

今さら映画の入門書?:その(2)

『映画技術入門』で出色なのは、前に書いたように有名な作品の技術的データが書かれていること。例えば「16㎜で撮られた主な作品」のリストがある。カサヴェテスの『アメリカの影』(1959)やヴェンダースの『都会の夏』(1970)、ユスターシュの『ママと娼婦』(1973)、ジャームッシュの『パーマネント・バケーション』のように初長編が多い。

しかし内田吐夢の『飢餓海峡』(1965)やロメールの『緑の光線』(1986)、黒沢清『地獄の警備員』(1992)、是枝裕和の『誰も知らない』(2004)、ゲリン『シルビアのいる街で』(2007)、ビグロー『ハート・ロッカー』(2008)のように意図的に16㎜を選んだ例もある。

同じ16㎜でもスクリーン・サイズはいろいろで、『アメリカの影』や『緑の光線』のようにスタンダードもあれば、『都会のアリス』のようなヨーロピアン・ビスタも石井聰互『爆裂都市』のようなアメリカン・ビスタもあり、『飢餓海峡』のようなシネスコまである。

2000年以降はデジタルビデオの登場でデビュー作の16㎜は少なくなる。逆に2010年以降は、私好みの監督があえて16㎜を使っている。アピチャッポンの『ブンミおじさんの森』(2010)、トッド・ヘインズ『キャロル』(2015)、ミカエル・アースの『アマンダと僕』(2018)、ロルヴァケル『幸福なラザロ』(2018)、三宅唱『ケイコ 目を澄ませて』(2022)など。サイズはビスタが多いが、アースのシネスコも。

『無声映画入門 調査、研究、キュレーターシップ』を書いたパオロ・ケルキ・ウザイは、長年ジョージ・イーストマン博物館のキュレーターを務めたイタリア人で、私が東京で会った1990年代はイタリアのポルデノーネ無声映画祭をやっていた。

この本はサイレント映画について文字通りありとあらゆる観点から解説したもので、映画保存や修復に関わったことがない私にはよく意味がわからない部分も多い。それでも一応大学で映画史を教えている身には「ああ、そうか」と思うことがあちこちにあった。

例えばカラーについて「かつては誰もが無声映画といえば白黒だと思いこみ、誤った情報がずいぶん流通していた」「当時の商業映画の多くが部分的にカラーまたは全編カラーだったのは間違いない」「最古のカラーは映画誕生と同時期に出現していた」

もちろんこれは完全なカラーではなくて、染色や彩色によって場面全体がブルーやオレンジなどに色付けされていたり、ある登場人物のドレスだけが赤などに塗られているものも含む。これがわかったのは「無声映画が学問研究の対象となった1980年代半ば」らしい。

無声映画に楽師が付いたこともかつてはあまり知られていなかった。この本では1920年代のアメリカの無声映画楽師の給料まで事細かに書いている。もちろん日本独自の弁士についても「日本における映画興行には、演技や語りの要素が―何の疑いもなく―必須とされ、その評価は常に弁士の名声や話芸に左右された」とし、別の章でさらに細かく演じている。

この本については後日もう一度論じるが、『映画技術入門』では名作の制作や上映現場の技術的側面を知り、『無声映画入門』では映画保存の立場から映画の物理的な条件や技術を知る。これまで名作や名監督の歴史を語ってきたいわゆる映画史家や映画評論家に決定的に書けていた視点だ。

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