『燈台守』と『迷宮の女』
先日、グレミヨンの『父帰らず』(1930年)を見たのは、シネマヴェーラの「ジャン・グレミヨン&ジャック・ベッケル特集」だったが、またグレミヨンを見にいった。行く前に調べて驚いたのは、この2人の監督の多くがアマゾン・プライムやユーネクストで見られること。
当然、それらにない作品は混む。『父帰らず』で久しぶりにグレミヨンの魅惑に引き込まれた私は、配信にない『ある女の愛』(1953)と『父帰らず』(1930、国立映画アーカイブ所蔵)を土曜の朝から続けて見た。劇場は大混雑で、15分しかない2本の間に立ちながらサンドイッチを流し込むという久しぶりの映画マニア体験をした。
『迷宮の女』はミシェル・モルガン主演のオーソドックスな不倫もの。彼女が演じるイレーヌは、家具工場で働く青年エチエンヌと競技場で出会い、愛し合う。イレーヌはエチエンヌには富豪ジャックの妻の女中頭と伝えているが、実際はその妻だった。ジャックは出版社社長でイレーヌはその秘書だったが、美人を妻にしたいジャックの要望を受け入れた。
ジャックはイレーヌの不倫に気がつくが、気にしない。彼女が妊娠を告げると、スイスのローザンヌの病院を手配した。エチエンヌは生まれた子供を叔父に預け、結婚を決意する。イレーヌは悩むが、結局受け入れてそれを夫に告げる。しかし子供が病気になってイレーヌを連れてこようとしたエチエンヌは、実はイレーヌが富豪の妻だったことを知る。
すべてセットの撮影で作り物のようなメロドラマだし、ミシェル・モルガンが圧倒的に優雅で社長夫人が似合いすぎて、とても若い労働者に惚れる感じには見えない。けれど男たちがどこか呑気で薄っぺらいのに比べて、悩み抜く彼女の心理を中心に描いたのは悪くない。
サイレントの『燈台守』は40年前にパリで見ていたが、ルイ・デュリュックやジャン・エプスタインに連なる前衛的な印象主義映画だと理解していた。今回見て、それが当たっていたことがわかった。孤島の灯台の迷宮のような作り、荒れる海とその波、狂犬病にかかった息子の幻想などが繰り返される。
孤島に行った父子の息子が狂ってゆく姿と、若者を愛する女性マリー(ノルマンディかブルターニュ地方の民族衣装でレースの帽子)の思いだけで74分は少し長い。この作品は国立映画アーカイブのプリントだったが、小宮コレクションの1本とは知らなかった。この劇場は毎秒20齣の映写速度を守っていたからすごい。
『燈台守』から『父帰らず』、そして『混血児ダイナ』(1932)までが、グレミヨンの実験的映像の時代かもしれない。グレミヨンの評価はなかなか難しい。これからだろう。
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