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2025年6月11日 (水)

鳥取県立美術館に行く

神戸への学会出張を利用して、鳥取へ出かけた。開館したばかりの鳥取県立美術館に行くためだ。ここの館長・尾崎信一郎さんは私と同じ歳で、20代後半に一度だけ一緒に仕事をしたことがあった。彼が兵庫県立近代美術館に勤めていた頃で、ローマとダームシュタット(フランクフルト郊外)巡回の「具体」の展覧会。

「具体」は1950年代から阪神間で活躍した前衛美術集団だが、個性的な運動として1980年代後半になって世界的な注目を浴び始めた。おそらくパリのポンピドゥー・センターの「前衛芸術の日本」展(1986-87年)が大きかったのでは。ローマの国立近代美術館から要請があり、日本でその作品を最も所蔵する兵庫近美を中心とすることになり、その担当学芸員に若い尾崎さんが選ばれた。

当時、国際交流基金で美術の部署に異動したばかりの私も担当となり、1年くらいかけて2人で準備した。まず彼の案内で「具体」の作家たち(当時は全員お元気だった)のご自宅に伺った。そしてローマから館長と学芸員が来ると、2人で案内した。そして10人ほどを連れてローマに行き、1週間の展示作業からオープニングまで。

さらに次の会場であるダームシュタットへ行って、打ち合わせをした。尾崎さんはローマで食べ飲み過ぎて確か胆石の手術を受けることになり、ダームシュタットの展示には行けなかった。いずれにせよ、全く美術は素人の私が展覧会の作り方を学んだのは、尾崎さんからだった。その後もお互いに連絡は続けていた。

尾崎さんは国立国際美術館や京都国立近代美術館に移り、そして故郷、鳥取の県立博物館に戻った。それがたぶん10年以上前で、鳥取県立美術館を作るということが決まっていたのではないか。そしてこの3月末に満を持して開館した。その開館記念展を見に行くのは、友人として当然。

記念展は「アート・オブ・ザ・リアル 時代を超える美術ー若冲からウォーホル、リヒターへ」。江戸時代の鳥取の日本画に始まって、フランスの印象派からポスト印象派へ、それを追いかけた日本の洋画家たち。そして一挙に舟越桂やゲルハルト・リヒターに飛ぶ。

全体は「写実を超えて」や「日常と生活」など6つのセクションに分かれ、最後に「境界を越えて」が来る。多くのセクションで20世紀初頭から今世紀の作品が混在するが、違和感はない。あるいは18世紀の伊藤若冲や曽我蕭白の近くにピカソやマグリットが来てもぴったり。

「具体」の作品は「物質と物体」の章にあり、リヒターも並ぶ。そして60年代後半の「アート・オブ・ザ・リアル」展を現代風に再現し、ステラやジャッドの後に、何と村岡三郎や冨井大裕。

土方稲嶺や前田寛治など所蔵の鳥取県出身作家の作品に、国内の美術館から集めた内外の一流の絵や彫刻を組み合わせて世界的な文脈から見ている。おそらく開館記念ということで、館長のこれまでの人脈によって多くの美術館が代表作を貸してくれたのだろう。

加えて、100年以上時代が違う作品が横に並んでも違和感がない。それは展示のセンスの良さで、長年の展覧会経験からどの作品がどう見えてほかの作品とどのような相乗や異化の効果を出すかを知り尽くしているからに違いない。

現代の作家の作品でも、私が「わからない」と思うものがなかったのも嬉しかった。ここにもよく書くが、今世紀の美術は私には理解できないものが多い。それがこの展示には一つもなかった。たぶんこれは私が尾崎さんと同世代で、ある種の共通する美意識を持っているからかもしれない。15日までだが、友情を別にしても行ってよかった。

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