『ヌーヴェル・ヴァーグ』という本を出す:その(2)
集英社新書から『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』を出してから、一カ月あまりたった。残念ながら、まだ増刷の話はない。勇気を出して編集者に売れ行きを聞くと、2年前に同じ版元から出した『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』とほぼ同じらしい。
「ヌーヴェル・ヴァーグ」(N・V)ならば「イタリア映画史」よりも絶対に売れると思ったが、そう簡単ではなさそうだ。「イタリア映画史」はイタリア文化会館で出版記念イベントもやってもらったし、その年のイタリア映画祭では200冊も売れたし。
その(1)で書いたように、「イタリア映画史」を書いたのはそのような本が全く存在しないからだった。そして古今のイタリア映画に本当に詳しい方は研究者でもほとんどおらず、「誰も書かないなら、イタリア映画祭を始めた私が」という思いもあった。
ではなぜ「ヌーヴェル・ヴァーグ」について書こうと思ったのか。この内容ならば私よりもうまく書けそうな方を私は何人も知っている。ゴダールやトリュフォーの本なら何冊もあるし、シャブロルやロメール、レネ、ヴァルダ、ドゥミの本だってある。
実は今となってはなぜ書きたいと思ったのか忘れていたが、当時集英社新書の担当者に送った企画書を見ると思いだした。それは多くの知人や尊敬する人が亡くなった「喪失感」によるものだった。その半分くらいは「「はじめに」に代えて」に書いているが。
まず、ゴダールが2022年9月に亡くなった。彼は遠くからしか見たことがないが、やはり別格の「映画の神様」で新作も旧作も彼の映画を追い続けた。そして翌年の5月にジャック・ロジエが亡くなった。彼はN・Vの中では有名ではないが、私の最初の活字になった文章は雑誌『リュミエール』のロジエ論だ。
これでN・Vの有名な監督はすべて亡くなったことになり、私にとって何かが終わった。その少し前、2019年11月にN・Vの一人であるが評論家として有名なジャン・ドゥーシェさんが亡くなった。彼は毎年一度は会って映画と美食について学んだ。それから、同じ年の6月にはパリに住んでN・V以降の映画を日本に紹介し続けた吉武美知子さんも亡くなった。
前年にはN・Vの映画の字幕を多数手がけた寺尾次郎さんも亡くなっていた。彼も長年の飲み友達だった。そしてドゥーシェさんに紹介された女優のフランソワーズ・アルヌールさんも2021年に7月に逝った。彼らは私にとっていわば「フランスの両親」だった。私の本当の父親は30年ほど前に亡くなったが、母は2019年1月まで生きた。
こうしてヌーヴェル・ヴァーグ関係者のみならず自分の友人や母親までいなくなり、私はこれまで彼らに影響を受けながら見てきた映画について書きたいと強く思った。表向きは「ヌーヴェル・ヴァーグ」の歴史の形を取りながら、かなり個人史というか自分の思いを恥を覚悟して書いた。
ある友人が「古賀くん版『友よ、映画よ わがヌーヴェルヴァーグ史』だね」と書いてきた。もちろん山田宏一さんの名著に及ぶべくもないが、気分だけはそんなところ。
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コメント
序章で「ヌーヴェルヴァーグの方が夢見た時間がはるかに長い」と書かれていた、その一文に古賀さんの思いを感じました。単なる学術書ではない生きた言葉、経験の魅力があると思いました。ヌーヴェルヴァーグファンとしてまた何回も読み返すと思います。
投稿: 辻田 | 2025年6月 3日 (火) 18時46分