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2025年7月16日 (水)

ゴダール展に考える

ゴダールの展覧会があると聞いて、歌舞伎町の王城ビルに行った。私は大学で映画を教えているし最近は『ヌーヴェル・ヴァーグ』という本まで出したが、この展覧会は全く知らなくてたまたまネットで見つけた。

最近は前衛的な監督の展覧会がたまに画廊や美術館で開かれる。タイのアビチャッポン・ウィーラセタクンの個展を画廊で見たのは記者を辞める頃だから2009年春か。もちろん映画に比べたら絶望的につまらない、というより手を抜いている。「現代美術」と名が付けば、ビッグネームならば何をしてもOKというところがあるから。

思いつきで映画の一部をスクリーンを貼って上映し、壁にデッサンでも並べたら画廊主や美術館学芸員はOKだ。現代美術の半分はそうだから。そんな展覧会をいくつか見た。ラース・フォン・トリアーはパリの画廊で、ペドロ・コスタは日本の美術館で、アニエス・ヴァルダはフランスの美術館で。

私もそうだが、映画の観客は美術館の映像展示に手厳しい。思い付きだけの映像はだいたい3分もすれば飽きてくる。オラファー・エリアソンとかいくつかの本格的な作家を別にすれば。そして映画監督の展示も総じて怖ろしくつまらない。

ゴダールの展覧会は1度だけ見たことがある。2006年、パリのポンピドゥー・センターの地上階部分の小さめのスペースで、入口に「この展覧会はドミニク・パイーニ監修で行うはずでしたが技術的困難による断念しました。この展覧会は本人が仕上げたものです」という内容が書かれていた。

会場にはテレビモニターやスクリーンや編集機やフィルム断片などがあちこちにあり、まるでガラクタ市のようだった。そこに突然アンリ・マティスの傑作『ルーマニアのブラウスの女』が展示されていたりする。もちろんポンピドゥー・センターには国立近代美術館があるので、所蔵作品だが。全体がいたずらっ子の遊びのよう。

さて今回の展覧会の正式名称は「感情、表徴、情念 ゴダールの『イメージの本』について」と題している。つまり2018年の『イメージの本』を中心にして死後に弟子が組み立てたもので、その映像を20くらいのスクリーンで見せて関係のある本などを置いていた。

それぞれを椅子に座って見ていると、ゴダール的な世界に浸れる感じはある。だけどそれだけで、もちろん『イメージの本』を映画館で見た方が何倍も刺激的だ。何とはなしのゆるい「没入感」を味わうのに、一般2200円は法外に高い。会場は昔から喫茶店だった王城ビル。4階建ての壊れそうな建築が、かろうじてこの「没入感」を支えていたように思えた。

本人が美術館におだてられて展示とは何かわからずにやる分はもう仕方がないが、こうした「オマージュ」はどう考えたらいいのだろうか。

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コメント

この展示は、ゴダールの死後に組み立てたものではなく、存命中にファブリス・アラーニョが制作したものだったかと思います。
「ユリイカ」の追悼号に、経緯やゴダールとのやり取りは書いてありましたね。なのでいわゆる「オマージュ」ではないのかなと思います。
長時間いることで、ループではなく、ランダムで再生される映像に無限にイメージを膨らませました。
映画を見る体験と比較するのではなく、それを拡張した体験だなと思い、私は映画1本と同じ値段で充分に楽しめました。

投稿: movietraveller | 2025年7月21日 (月) 20時45分

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