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2025年9月22日 (月)

ゴダール『シナリオ』の奇妙な感動

ジャン=リュック・ゴダール監督『シナリオ』を劇場で見た。18分の遺作『シナリオ』と、ゴダール自身が制作ビジョンを語るドキュメンタリー映像 『シナリオ:予告篇の構想』が36分で計54分。シニア割引もない一律1700円の「特別料金」。

54分で1700円は高かったかと言えば、私にとってはその価値があった。福岡の大学生時代にシネヴィヴァン六本木のオープニングで公開された『パッション』(1982)を飛行機に乗って見に行って以来、同時代的に彼の作品を見続け、パリでは過去のビデオ作品まで追いかけた私にとっては。

そこには明らかにゴダールらしい何かがあったし、前半の遺作の終盤に裸の上半身にシャツをひっかけたゴダールが出てきて、老いた顔でお腹を見せながら文章を書く姿には、正直、感動した。「指は指にあらず」「馬は馬にあらず」とか、何だかわからないのもいつも通り。

前半はDNAとMRIの2つに分かれていた。ロシア語が響き、いくつかの(彼が描いた?)絵が見せられる。映画の引用はわかりにくいが、ウェルズの『上海から来た女』のラスト、自分の『軽蔑』の終盤と音楽、そして『無防備都市』でアンナ・マニャーニが殺されるシーンなどが。その混じり具合はやはりゴダール節。

後半はある映画の構成を小冊子で説明するゴダールを見せる。このゴダールは前半よりも元気で、6つのパートに分かれているという。最初は導入で終わりはラシーヌの戯曲『ベレニス』。その間の4部にラス・メイヤーの映画、フランシス・ベーコンの絵、ジョゼフ・フォン・スタンバークの『ニューヨークの波止場』、マルセル・カルネの『ジェニーの家』。

それからロベール・ブレッソンの『ブーローニュの森の貴婦人たち』、ニセフォール・ニエプスの写真、アラン・バディウの文章、エイゼンシュテインの『イワン雷帝』などなど。

小冊子に頁を足すために、コピーを取る。そして終わりにラシーヌの戯曲を読むゴダール。マクロン大統領がルーヴル美術館のピラミッド前を歩くのを撮るとか。そしてできあがり。嬉しそうなゴダール。何のことかわからないが、彼の晩年の映画がこうした手作業=ブリコラージュで作られたのは間違いない。

前半の18分は、彼が最後に頭にあったイメージを集めた遺言で、後半の36分は彼の映画作りの基本をシンプルに見せた。こうした映像と言葉の引用の組み合わせがゴダールだった。その意味で、私には心の奥底に響いた。少なくとも、ゴダールのあの表情と半裸の姿は残り続ける。

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