『グランドツアー』のエキゾチズムをめぐって
10月10日公開のミゲル・ゴメス監督『グランドツアー』を試写で見た。つい最近まで「朝日」の映画記者だった石飛徳樹さんは「エキゾチズムがどうも」と言っていたが、私はまさにそれがよかったと思った。
20世紀初頭の東アジアを舞台に、イギリス人のエドワードが訪ねてくる婚約者のモリーから逃げ回るという、それだけの話だが私には限りなく心地よかった。ポルトガル生まれのミゲル・ゴメス監督の映画は、たぶん『熱波』(2012)しか見ていない。その時は老女の若い頃のアフリカでの禁じられた恋がノスタルジックに再現されるさまに、思わずのめり込んだ。
今回はビルマに始まって日本を含むアジア各国をめぐる大アドベンチャーだ。それでもドラマらしきものはない。1918年、エドワードはビルマ(ミャンマー)のラングーンにいる。モリーがやってくるという知らせをうけて、彼女が着く直前にエドワードはシンガポール行きの船に飛び乗る。
そこはラッフルズ・ホテル。バーにはモリーの従兄がいて「いつ結婚するんだ」。それからバンコク、サイゴン、大阪、上海と向かう。あちこちで人形芝居や伝統演劇を見る。会うのは遊んでばかりいる西洋人ばかり。
後半、中心がモリーに移ってからの方がおもしろい。バンコク、サイゴンと追いかけて病気に。サンダースという西洋人に介抱されているうちに求婚されるが、モリーは地元の謎の中国娘、ゴックと旅に出る。上海では嵐にあって川に落ち、死にそうになる。
基本的には西洋人がアジアを見るエキゾチズムだ。それは20世紀初頭には当然だったが、現在も存在する。実際に現在の大阪など、各地の現代の光景も混じっている。西洋人はあくまで自分に都合のいいものだけを見ようとし、美化する。
リュミエール兄弟の昔から映画史はエキゾチズムそのものなのだ。スタンバークの『上海特急』もルノワールの『河』もコッポラの『地獄の黙示録』も、みんなそうだ。そして監督はポルトガルという、かつてアフリカやアメリカに植民地を持った国の出身者だからなおさらだ。ある意味でこの映画はエキゾチズムの居直りとも言えよう。
現代において、あえてエキゾチズムを見せる反時代的な姿勢が、不思議な魅力を生んでいる。モリーが何度も見せる大袈裟な吹き出し笑いが、すべてを笑い飛ばす。ああ、快感。
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