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2025年9月 5日 (金)

『側近が見た昭和天皇』の天皇像

「朝日」の北野隆一記者の『側近が見た昭和天皇』を読んだ。これはこの10年ほどで出てきた戦前・戦中の百武三郎侍従長の日記や前後の田島道治宮内庁長官の『昭和天皇拝謁記』を中心に読み解いた「朝日」の2回にわたる連載を本にしたもので、もっと詳しく読みたいと思っていた。

一言で言えば、天皇に戦争責任はあったのかどうか。そして本人はそれをどう考えていたのか。読んだ結論から言うと、天皇は戦争を止める力は持っていたが周囲の雰囲気に飲まれてしまったし、戦後は自分でも責任は感じていたがそれは自分だけでなく政府も国民も悪かったというものだろう。

驚いたのは、天皇は敗戦後に退位の意志がなかったことで、これは田島長官の『拝謁記』で明らかにされている。戦争に至ったことは反省しているが、むしろ軍部への恨みが強い。51年6月8日「内閣の張作霖事件のさばき方が不徹底であったことが、今日の敗戦に至る禍根の抑々の発端」。

50年12月1日「米国が満州事変の時もっと強く出て呉れるか、或いは適当に妥協してあとのことは絶対駄目と出てくれればよかったと思う」という発言は、この本では責任転嫁とされている。「発言を聞いた田島は、さすがに責任転嫁の発言が外にもれることを恐れ、天皇に「これは此御部屋の中だけのお話でございます」とクギを刺した」

これはかなりいいかげんだ。サンフランシスコ講和条約が52年4月28日に発効する時に、吉田茂首相は国民への「おことば」を求めた。天皇は「反省」の一字を入れようと主張したが、首相は「いま声をひそめている御退位説をまた呼び起こすのでは」と田島に伝えて削除した。ところがその「反省」の意味は違っていた。

52年2月20日「反省というのは私にも沢山あるといへばある。(略)私の届かぬ事であるが、軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるから、それらを皆反省して繰返したくないものだ」。これまたみんな悪い、という責任転嫁だろう。そして日本人の国民性を批判し、民主主義に疑問を呈する。

53年5月5日「日本人はどうも理性でものをいはないで感情的といふか議論がチヤンと理屈の上から出ない」。52年11月27日「今は平和とか、民主とか、自由とかいふ美名で、案外祖国の防衛も忘れ、放縦を自由と思ひ、民主々義といつて、得手勝手をいふといふ今日の有様は、私は実にどうかと思う」

これではまるで普通の昭和のおじさんの発言ではないか。人間くさいとも言えるが。ところで序章で触れられているが、田島の『拝謁記』は「1968年に死去する何カ月か前、ノート類を自宅の庭で焼却しようとした。それを次男で元朝日新聞記者の田島恭二が押しとどめた」。そして次男と長男が死去し、「19年の天皇代替わりの際にNHKから依頼を受け」、孫ら遺族が公開した。

戦前の「百武三郎日記」について触れていないが、ここの面白い。実際に資料に当たるのは大変な作業だが、新書でダイジェストを読めるのはありがたい。

 

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