東京国際映画祭はよくなったのか:その(2)
さて、東京国際映画祭はよくなったのか。もちろん、基本的にはずいぶんよくなった。公式カタログ(2300円!今はプレスにも配布されない)には、少なくとも2020年にはあった首相や経産大臣や都知事の写真や挨拶はなくなった。これだけでも「後進国」の感じがだいぶ減る。
さて、東京国際映画祭はよくなったのか。もちろん、基本的にはずいぶんよくなった。公式カタログ(2300円!今はプレスにも配布されない)には、少なくとも2020年にはあった首相や経産大臣や都知事の写真や挨拶はなくなった。これだけでも「後進国」の感じがだいぶ減る。
今年も昨日から東京国際映画祭が始まった。1985年に始まったが、最初の数年は2年に1度だったので今年で38回目。最初は邦画大手などの「話し合い」で上映作品を決めていたが、国際映画祭にはディレクターが必要だとわかって、2003年からコンペにプログラミング・ディレクターが設けられた。
長い間、「将来」のために努力してきた気がする。のんびり好き勝手にやっていたのは中学生までで、高校生になってからは「いい大学」に入らないと思ってきたし、大学生の時は「いい仕事」をするために頑張らないといけないと常に考えていた。
ここに書いたように、先日、鹿児島へ行った。福岡生まれなので鹿児島は何となく馴染み深いが、ほとんど行っていない。考えてみたら、中学3年生の時、つまり50年くらい前のことだった。1度はたぶん修学旅行で鹿児島、宮崎、大分に行ったはず。
NHKの朝ドラ「あんぱん」が終わって少しだけど「ロス」状態になった気がする。なぜか毎朝あの番組を見ると嬉しくなった。正直に言うと戦前の部分に比べたら戦後は単調になったが、それでも「柳井崇」=「やなせたかし」が少しずつ有名になるのを見るのは気持ちよかった。
山形ではコンペは2本しか見なかった。イグナシオ・アグエロ監督の『亡き両親への手紙』はちょっと失望した。この監督は『100人の子供たちが列車を待っている』が1989年の第一回映画祭で上映され、その後映画館でも公開された。
9月初旬に10日ほどヨーロッパに行ってから、どうも飛行機や新幹線にばかり乗っている。ようやく心身が慣れた9月末に義兄が亡くなり、葬儀で福岡を往復した。葬儀場が空港からさほど遠くなかったので、思ったほど疲れなかった。
現在開催中の山形ドキュメンタリー映画祭は2年に1度の開催だが、1991年の第2回から毎回通っている。といっても全部は見ていなくて、おおむね金曜夜から休日になる月曜夜までの滞在。大学に移ってからは月曜が休日でも授業だが金曜は普通は授業がないので、おおむね木曜夜入りで日曜夜帰りの3泊。。
パリ、ブリュッセルから戻ってひと月になるが、まだ触れていない美術展がいくつかあるのでもう1回だけ。去年、5年ぶりにパリに行ってルーヴル美術館やポンピドゥー・センターの常設展を見た。特にルーヴルは「モナリザ」などの部屋を除けばガラガラなので、名画を見ながら何とも豊かな時間を過ごせた。今回はオルセー美術館の常設を見た。
ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ワン・バトル・アフター・アナザー』を劇場で見た。この監督は大好きな映画が多いが『リコリス・ピザ』(2021)が全くピンと来なかったので、ちょっと心配だった。しかし今回はこれまでにないくらいハマってしまった。
今回6年ぶりにエール・フランスに乗ったが、機内上映のリストに日本映画がなかったのに驚いた。かつては日本便なら必ず最新の日本映画があったものだが。あるのはフランス映画とメジャーなアメリカ映画だけ。昔は日本映画のほか、韓国や欧州各地の映画も見られたが。
ここでは政治のことはめったに書かないが、高市早苗氏が自民党総裁に選ばれたら何か言いたくなった。事前の予想では小泉進次郎氏が優勢だったが、SNS工作とか神奈川県での党票操作などが影響したのか失速した。
昔、何度か高知県立美術館と仕事をしたせいで、この美術館からは今でも案内が送られて来る。そこで開かれる展覧会のチラシなどを見るだけだが、「これは見てみたい」と思ったのが「絵金」の展覧会だった。
ではパリで何をしていたのか。4晩のうち2晩はいつもの友人と、あとの2晩はほかの面々と夕食だった。昼間は展覧会をいくつか見て映画を1本見て、あとはウロウロした。一番気持ちよかったのは、パリの街中を1時間ほど歩いたことか。
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