東京国際映画祭はよくなったのか:その(1)
今年も昨日から東京国際映画祭が始まった。1985年に始まったが、最初の数年は2年に1度だったので今年で38回目。最初は邦画大手などの「話し合い」で上映作品を決めていたが、国際映画祭にはディレクターが必要だとわかって、2003年からコンペにプログラミング・ディレクターが設けられた。
ディレクターは吉田佳代さん、田中千世子さんと数年で代わり、2007年からは矢田部吉彦さんが務めた。この時からアジア部門は石坂健二さん。2021年から市山尚三さんがコンペのみならず上映作品全体のプログラミング・ディレクターとなった。矢田部氏ははずれ、石坂氏はシニア・プログラマーとしてアジア映画を中心に関与している。
場所は当初の渋谷地区(NHKホールや文化村など)から六本木のTOHOシネマズ中心になり、2021年から日比谷・有楽町になった。私は第2回の1987年から参加しているが、この40年でずいぶん変わったと思う。
なぜこんな経緯を書いたかと言うと、この映画祭を評価するには大事なことだから。つまり、当初から全く国際的でないと批判ばかりされてきたこの映画祭が、よりよい形にしようと右往左往しながら努力してきた結果がこの数年の形だから。市山氏になって、少なくともアジアで開かれる国際映画祭として、全体の見ばえはずいぶんよくなった。
この「見ばえ」というのは「海外から見た時」という意味だ。日本の映画業界や日本の観客のことだけを考えていた映画祭が、少しずつそうなってきた。例えばかつて「特別上映作品」という枠があり、コンペを超す20本以上が上映されていた。これは主に正月公開の洋画や邦画が中心で、外国から見たら「あれ?」という作品が多かった。
2020年から全体のトップになった安藤裕康チェアマンは、外交官出身でそのあたりの国際感覚に敏感なのか、翌年から市山氏にコンペだけでなく全体を任せ、「特別上映作品」はなくなって本数も少ない「ガラ・セレクション」となった。ここにはレベルの低い映画はない。コンペはアジア映画が半分になり、「アジアの未来」部門は3本目までの作品を選んで若手中心になった。
ではコンペの作品は「見ばえ」がするかと言えば、そう簡単ではない。今年で言えば、イスラエルのアモス・ギタイとカンボジア出身でパリで活躍するリティ・パンをワールド・プレミア(WP)で持ってきたのは力業と言えよう。カンヌやベネチアのコンペにあってもおかしくないから。そのほかは、タイのベンエーグ・ラッタナルアーンやアゼルバイジャンのヒラル・バイダロフの映画はあるが、WPではなく、アジアン・プレミア。
かつて「朝日」のデジタル版で星取表に参加していた時は無理をしてコンペをすべて見ていたが、最近は15本のうち10本ほどを見ている。その感想はこれから書いてゆく。
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