「終わった」か
長い間、「将来」のために努力してきた気がする。のんびり好き勝手にやっていたのは中学生までで、高校生になってからは「いい大学」に入らないと思ってきたし、大学生の時は「いい仕事」をするために頑張らないといけないと常に考えていた。
普通だと就職して結婚したらある程度は落ち着くものだ。ところが私はこの2つを経ても全く不安定のままだった。問題は映画という面倒なものに取りつかれたからで、これはどんなに見ても限りがない。毎年日本映画だけで何百本も作られているのだから。
大学生の時は映画会社に入りたいと思っていた。希望通り、(今はなき)ヘラルド映画のような洋画インディペンデント大手に勤めていたならば、すぐに映画界の実情を知り、ある程度醒めた目で映画を見ることができたのではないか。
ところがいろいろあって、4年生の時にパリで1年過ごして映画を見まくり、さらに大学院で映画を「研究」した。結局1年しかいなかったから、映画研究のほんの入口を見たくらいだったと今になって思う。しかしそれは強烈だった。先輩の院生や先生方の一言や行動がずっしりと響いた。
そして偶然見つけた国際交流基金に就職した。そこには映画のセクションもあったから。ところがその部署には行けずに、主に美術の仕事をした。だから映画はいつも憧れ、あるいは将来の夢として私の中にあり続けた。自分の求める映画を見続け、本を読み、映画界に知り合いを増やすことが重要だった。
次に新聞社に転職したが、それは美術展の経験があったから。だから仕事の大半は美術で、その1割くらいの時間と予算を使って映画祭をいくつか企画した。映画製作や配給の出資も担当した。しかしそれはあくまで自分の中では「小さな実現」で満足からは遠かった。相変わらず映画を見続けて本を読んだ。
大学で映画を教え始めてからは100%映画のはずだが、それでもまだ足らなかった。まず自分の大学で主に教えているのは制作、つまり映画の作り方であって、私のような理論系はマイナー。この分野でほかの大学を見回すと、強力な「映画研究者」がたくさんいた。ここでも私はまだまだ努力が足りないと思った。
そこで、2年前に『永遠の映画大国 イタリア名画の120年』、今年5月に『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』を出した。これで安泰かと思ったが、とんでもなかった。この2冊に書かなかったことが次々に出てきて、全く落ち着かない。
ところがなぜかこの夏から、「もういいか」という気分になってきた。ある種の「終わった」感じが湧いてきて、妙に気持ちがいい。まあこんなものだから、もう無理はすまいという気分。暑すぎたからか。高齢に伴う体力的なものもあるかも。楽しい人生だったと思い始めたら、止まらない。一人でニヤニヤしている。
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