アーティゾン美術館はもはや現代美術館
アーティゾン美術館で1月12日まで開催中の「ジャムセッション 石橋財団コレクション×山城知佳子×志賀理栄子|漂着」展がおもしろかった。ずいぶん長い展覧会名だが、要するに2人の女性作家の別々の個展である。
これまでこの美術館は「ジャムセッション」と題して、現代美術作家がこの館の所蔵作品にインスピレーションを受けて新たに作品を作り、所蔵作品も同時に展示するという企画を何度かやった。一番記憶に残っているのは、森村泰昌が青木繫の《海の幸》をモチーフに展開した展示。
今回も「ジャムセッション」の形だが、実は展覧会を見ながら所蔵作品がどこかに展示されていることは全く考えなかった。後で資料を見ると、山城知佳子の空間には1点、志賀理江子の展示にはジャコメッティなど3点あったようだが、全く気づかなかった。あくまで6階は山城(=漂)、5階は志賀(=着)の個展としか見えなかった。
それほど2人の展示は強烈だった。どちらも個展を東京都写真美術館で見たが、今回はそれぞれ何倍もパワーアップしている。山城はビデオ映像で沖縄に生きる人々を見せるが、今回の作品『Recalling(s)』は6つの大きな映像が相互に響き合い、沖縄の歴史と現在をあちこちで語り合っている感じの空間が生まれていた。
山城の父はかつて行ったパラオの話をし、その映像が展開する。そこに占領下の女歌手やドラマーの生き方がかぶさる。さらに東京大空襲を語る声や沖縄戦を語る「ハイサイおじさん」の歌声。沖縄に漂着した軽石で作られたガラス玉の映像。沖縄のみならず、日本のこの100年が積み重なる。
ある映像を見ていると、別の映像の音や歌声に驚く。振り向くと大きなスクリーンが展開する。それを見ているとさらに別の映像と音が気になる。6つの映像と音が互いに呼応するように、実に巧みに作られている。
5階の志賀の展示《なにもかぬも》には、東北の土俗的な匂いがした。四方の壁には大きな写真が絵巻のように貼りつけられて、中央には貼り付けられた写真で作られた張りぼての船=原子力船むつがある。そして写真に刻まれた無数の言葉からは科学技術や人間そのものへの夢と不安が渦巻く。あるいは生きているのか死んでいるのかわからない男の呪詛の言葉。
会場にはあちこちで気持ちの悪い蛙の声が響く。それは人間が汚してゆく大地や海からの恨みの声のように聞こえてたまらない。震災にあった東北の港町から、人類そのものの歴史まで考えが及ぶ。
前回のアボリジニの美術展でも思ったが、アーティゾン美術館はもはや現代美術館である。その後で4階の印象派やそれに影響を受けた日本の画家たちの作品を見ながら、彼らもかつては現代美術作家だったのだと思い至った。
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