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2025年11月 5日 (水)

東京国際映画祭はよくなったのか:その(4)

市山氏がディレクターになってから確実に変わったのは、彼が東京フィルメックスの時代に見せていた作家性の強い監督の作品がコンペに入っていることだ。今回で言えばイスラエル出身のアモス・ギタイ監督の『ポンペイのゴーレム』、カンボジア出身のリティ・パン監督の『私たちは森の果実』など。

この2人の新作をワールド・プレミアで持ってきたのは市山氏のこれまでの人脈だろう。ただ、作家性の強い監督の作品だからといって、おもしろいとは限らない。アモス・ギタイの新作はイタリアのポンペイの演劇祭で彼が演出した舞台を撮影したもの。

だからあくまで演劇だし、そのうえ内容は「ゴーレム」という中世ヨーロッパの神話に出てくるものを中心に10人ほどの役者が語る。さらに言葉はフランス語を中心に、ドイツ語、アラビア語、ヘブライ語などが混じる。

正直、そのユダヤ人をめぐる物語にうんざりしたが、ある種の迫力があったのは事実。最後に俳優が自分とユダヤ人との係わりについて個人的な話をする。主演のイレーネ・ジャコブは名前からユダヤ人だと思っていたが違っていた。

ギタイのユダヤ語りにもまして説教くさいと思ったのは、リティ・パン監督『私たちは森の果実』というドキュメンタリー。カンボジアの山岳地帯に生きる先住民族ブノン族が文明社会に蝕まれてゆくさまを、当事者のナレーションで見せる。それはその通り残念なことに違いないけれど。

アゼルバイジャン出身のヒラル・バイダロフ監督『虚空への説教』(アジアン・プレミア)は、題名自体が「説教」だし何と「説教三部作」の最後という。こちらはかなり実験的な映像を見せながら、人類や世界や宇宙についての「説教」が続く。ときおり相当に美しい画面もあるけれど、やはり退屈した。

今年はコンペで歴史ものが数本あった。一番よかったのはパレスチナのアンマリー・ジャシル『パレスチナ36』。1936年のパレスチナは英国委任統治領でナチスの弾圧もあってユダヤ人が入植を始めている。パレスチナ人は団結してそれに反対するが、イギリスからの調査団は入植を容認し、それに反対する多くのパレスチナ人が殺されてゆく。

私はユダヤ人の入植は1945年からだと思っていたが、その10年前から始まっていたとは。英国の兵隊による弾圧は現在の状況を思わせなくもない。青年ユセフを中心に淡々と史実を語るが、製作にBBCが加わっているのに驚く。現地の高等弁務官役をジェレミー・アイアンズが演じていた。

イタリアのアレッシオ・リゴ・デ・リーギとマッテオ・ゾッピスの共同監督『表か裏か』は20世紀初頭の北イタリアを舞台にアメリカから来たバッファロー・ビル率いる「ワイルド・ウェスト・ショー」の公演から始まる。地元に住むローザはショーの会場で牧童のサンティーノと出会い、夫を殺して旅に出る。ある種のジャンル映画を狙ったものだが、私は全く楽しめなかった。

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