福崎裕子さんが亡くなった
フランス語通訳の福崎裕子さんが亡くなった。実は、今年1月に亡くなられたと彼女と同じマンションに住むMさんから聞いたのは8月だった。すぐに福崎さんと一番親しいと思った新宿のバーの店主Tさんに連絡したら、彼女は春先に妹さんから知らされたという。
Tさんによれば、体調を悪くして世間とも関係を絶っていたという。彼女が連絡を取っても会えなかったと。「自然とフェイドアウトして行った方がご意向」と思って広めなかった。それを聞いて私は親しかったはずの2人にだけ連絡を取り、あまり広めない方がと言い添えた。
ところが今朝の「朝日」の「群星訃2025」に堀越謙三さん、安井豊さんと共にその死が写真入りで報じられているではないか。小峰健二記者の文章で「仏文学者」として紹介されていた。
「難解な仏思想を織り交ぜて話す監督らの言葉を平易に訳し、映画史にも精通した仕事ぶりに大俳優カトリーヌ・ドヌーブから指名されることもあった。今秋、訃報が関係者づてに静かに流れた。裏方を自認していた人らしく、享年も忌日も詳細は伝わっていない」
新聞に出たならばいいだろうと、私も書くことにする。私は1995年の映画百年「光の生誕、リュミエール!」以来、「ジャン・ルノワール、映画のすべて」、「アニエス・ベーは映画が大好き」ⅠとⅡなど、仏語通訳が必要なすべての映画企画を彼女に依頼した。
理由はほかの誰よりも通訳が正確だったから。「ポンピドー・コレクション展」や「ナンシー派展」などの美術展の記者会見や開会式の通訳も頼んだ。「小津安二郎生誕百年国際シンポジウム」、「溝口健二没後50年国際シンポジウム」、「日仏文化サミット」などの同時通訳もすばらしかった。
仕事以外でもよく飲みに行ったし、彼女がマンションを買うと言うので一緒に何日か回ったことさえある。結局、私の友人が住むマンションを買った。なぜそんなに仲が良かったか自分でもわからない。彼女は横浜のフランス映画祭の通訳陣を教え子たちで仕切っていた。
ところが2007年秋に異動で文化事業部を離れてからはほとんど会っていない。私が既に仕込んでいたフランス関連の映画祭や美術展の記者会見の時に挨拶したくらいか。その後大学に移って同業になってからは、会っていない。どこかで偶然会うと、母親の介護で高松によく帰るので時間がないと聞いた。
今もさまざまなフランス語通訳の方を目にするが、だいたい「あっ、違う」と思う。人の間違いを見つけるのは簡単だから。でも福崎さんの時はそれがなかった。彼女は本番前には必ず資料を要求し、すべてを頭に入れてかつ膨大なメモを持って現場に挑んだ。そして相手のフランス人たちに愛された。あんな人はもういない。
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