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2025年12月25日 (木)

『アバター』3を見る

ジェームズ・キャメロン監督の『アバター:ファイア・アンド・アッシュ』を劇場で見た。一言で言えば、3時間17分を堪能した、というか高齢でトイレが心配だったが、興奮の映像の連続で全く退屈せず心配は杞憂に終わった。

だから満足な体験なのだが、それでもこんなに単純でいいのかとは思った。青い眼の先住民ナヴィが暮らす星パンドラを、地下資源を求める地球人がナヴィと敵対するアッシュ族と組んで攻める。最後はナヴィが森や海底の生物というか自然の神の力を借りて何とか地球人を追い返す。それだけの話だ。

壮大な民族同士の闘いに夕日や朝日や森が効果的に使われているから西部劇のようだが、展開はその逆で未開が文明に勝つ。かつての西部劇ではインディアンと呼ばれた野蛮人(今ではネイティブ・アメリカン)の住む西部を文明人が「開拓」することがテーマだったが、この映画では舞台はパンドラという星で、そこへ攻め入る人間は悪の存在だ。

環境問題が政治的な課題になっている現代では、自然と調和した生活を送るナヴィ族は「政治的に正しい」。この映画に出てくる人間はすべて滑稽にしか見えない。軍を率いる女性将軍はもちろんのこと、ナヴィの見方になる科学者でさえ、どこか滑稽だ。地球人がナヴィ族と反目するアッシュ族を使って一緒に攻撃するに至っては、いかにも現代にもありがちな戦争だ。

あるいはナヴィ族と暮らす地球人のスパイダーさえもある種の道化的な役割で、人はいいが深く考えずに行動する若者に見える。それに比べるとナヴィ族は、地球人からアバターとなってナヴィ族と暮らすジェイクを始めとして、妻のネイティリも子供たちもみんな知的で優しい。

そんな一方的なストーリーでも映画が成り立つのはまさに映像の力で、とにかくパンドラの森も海もそこに住む謎の生物たちもどれも目を奪われるほど繊細で美しく、最新の兵器で攻めて来る地球軍との戦いも見ていて飽きない。最初から明らかに勝負はついている感じだけど、それでも現代の最新のCGで展開するバトル映像にうっとりしてしまう。

これほどのストーリーの陳腐さはこれまでの映画の歴史を否定するほどの映画の退廃ぶりなのだけれど、それでも絶対にスクリーンで見る価値のある映像と言わざるを得ない。これでほかの映画と同じ料金なのだから(3Dなどは高くなる)、万人向け正月映画としておススメだろう。

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コメント

ご無沙汰しております。3年の船波です。この度は貴重な機会をいただきありがとうございました。
『アバター』シリーズですが、あまりにもプロジェクトとしてのスケールがデカすぎて、最早脚本や映像がどうとかいった普通の映画の尺度で評価することができなんじゃないかと思います。どちらかというとイーロン・マスクが火星移住を目指しているような、超富豪が自身の世界観を実現するために邁進している、はた目には理解しがたいような趣味的行為として眺めています。もちろんスターリンクが爆発的に普及し、『アバター』が世界最大のヒット映画となったように、ビジネス的な成功を伴うことは使命的条件ですが、動機の根幹にあるのはかなりスピリチュアルな要素なきがします。『タイタニック』で既に頂点を極めてしまったので、もう普通の映画をお行儀よく作ることに関心が向かないのでしょうね。ベンチャー精神は大いに結構だし、一生生活の心配が要らない富豪だからこそできるイノベーションもあると思うので、そうした意味では素直に応援しております。
内容的には「ナウシカ」だ「デューン」だと言われてますが、僕は個人的には『セデック・バレ』を連想するんですよね。「文明が我らを屈服させようとするなら、野蛮の意地を見せてやる」というセリフがカッコいいやつです。反日映画と思いきや、本質的な文明論に接近した作品として感銘を受けました。『アバター』はまだ途中なので物語的な評価は保留していますが、ぜひ重厚な結末を提示してほしい、そうでなければならん!と思っています。

投稿: Folgore | 2026年1月26日 (月) 22時13分

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