「アンチ・アクション」展の持つ意味
東京国立近代美術館で2月8日まで開催中の「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」を見た。戦後の女性美術作家を集めた展覧会のようだが、なぜ「アンチ・アクション」なのかと疑問に思っているうちに閉幕が近づいていた。
これがおもしろかった。12人の女性作家たちの作品をそれぞれ5点から10点ほどまとめて見ると、みんな力があって見ごたえがある。「1950年代から60年代の日本の女性美術家たち」というくくりが、これほど充実しているとは思いもしなかった。
彼女たちを「アンチ・アクション」と呼ぶのは、この展覧会の造語。チラシによれば、中嶋泉さん(阪大准教授)が2019年に出した『アンチ・アクション』という本によるらしい。簡単に言えば、50年代にフランスから来た「アンフォルメル」という運動が多くの女性美術家を生んだが、60年代にアメリカから「アクション・ペインティング」が来ると、「豪快さ」や「力強さ」が重んじられて彼女たちは追い出された、という。
そんなに簡単じゃないだろうとは思うが、それでもここに出ている女性たちの作品は実に自由で見ごたえがある。ただ見ながら私が考えたのは個々の作家たちの現在からの評価よりも、12人のうちに会ったことのある白髪富士子、毛利眞美、田中敦子、山崎つる子、宮脇愛子、草間彌生の6人の実際の姿だった。
白髪富士子さんは私が会った80年代後半は、完全に「白髪一雄の妻」を務めていた。ローマの具体展では彼女の作品も出たが、できるだけ夫の陰に隠れたい感じだった。今回改めて作品を見ると、極彩色でダイナミックな夫の作品に反発するかのように白を基調にした静かな作品だった。
毛利眞美さんに最初に会ったのは2003年頃だが、彼女は「堂本尚郎の妻」でありながら、ふと作り手の顔をすることがあった。2008年頃に堂本尚郎さんにこれまでの歩みを聞く長いインタビューをした時、パリ時代の話になると彼は「あなたも横にいてください」と眞美さんを呼んだ。
隣にいた彼女は何度も何か言いたそうだったが抑えていて、途中でふいに出て行ったのをよく覚えている。そして堂本さんも眞美さんも亡くなり、彼女の伝記が出て個展も開かれ、その作品はこの美術館やアーティゾン美術館に収蔵された。なんと長い道のりだったことだろう。
この2人は明らかに有名になってゆく夫のために制作をやめたパターンだろう。本展でそれがようやく復権した感じ。ローマの具体展で元気な姿を見せた田中さんや山崎さん、磯崎新さんが車椅子を押していた宮脇さん、あちこちで見かけた草間さんについてはまた後日。
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コメント
小学3,4年のころ通っていた画塾の先生の作品が出ていました。ご自宅の下駄箱の上にも、こんなアスファルトの絵がかかっていたのを覚えています。ようやく東近美で再会できましたね。そう思うと感無量でした。「アンチ・アクション」展だけど、先生の絵はすごくアクションしていると思います。九州派だもんね。ほかの絵がとり澄ましていて都会的なのとはえらく違う。田部くんの誕生日に先生が作ってくれたスコッチエッグ、おいしかったです。
投稿: 古賀重樹 | 2026年1月31日 (土) 01時01分