高橋源一郎『ぼくたちはどう老いるか』にめまい
昨年末に出た高橋源一郎の新書『ぼくたちはどう老いるか』を読んで、めまいがするほど心を動かされた。この本は、「老い」を描く多くの先人の文章を紹介しながら、著者がコメントをしてゆく形を取っている。
引用された文章もすさまじい強度だが、著者のコメントが自問自答しながら書かれており、まるで哲学の一説か詩のようで実に味わい深い。高橋源一郎は72歳で私より8歳上だ。しかし最近は私でも「老い」というか、これから先どうなるかと考えることが多い。定年があと1年に迫ってきたこともある。
「はじめに」で高橋さんがある文学賞の授賞式で車椅子の老人を見かけたことを書く。誰かわからずに近くの人に聞くと「ものすごく有名なベストセラー作家だった」。全く別の顔で、ふと自分の父親が亡くなる直前にそんな顔をしていたことを思い出す。
「それまで、なにかの力で、意志のようなもので、築き上げてきた表情から、力も意志も何もかも抜け出してしまい、空っぽになる。そんな表情だった。それから二か月ほどでその作家は亡くなった」
そして自分の最近のできごとを書く。銀行から70歳以上の人には融資しないと通知が来たこと、ワンルームを借りるのに70歳を過ぎていると近隣の保証人が必要だったこと、そこでインターネットを引こうとすると65歳以上は配偶者に確認を取ると言われたこと。
「「七十歳」前後を目安にして、「老人たち」は少しずつ「社会的な死」を迎えるのだ。社会から「もう必要ない」と、そっといわれるのだ。あなたの役割はもうないのだ、と。ぼくたちには「肉体的な死」の前に、「社会的な死」があるのだ」
現役の作家で原稿依頼が絶えないはずの高橋さんがこう書くのに驚く。そして亡くなった尊敬する先人たちが亡くなるまでに書いた本を紹介してゆく。最初は鶴見俊輔の『もうろく帖』。「みずからをよぼよぼと見さだめることのむずかしさ、/それには日々の努力がいる」
これを読んで考える。「ぼくたちはずっと「上」に向かって生きてきた」「おとなになると、少しちがっていた」「さらに少し先に進むと、なんだか同じことのくり返しがはじまった」「そして、気がつくと、ぼくたちはみんな「下」に向かって歩いていた」「変わったのは外見だけだ。そして、それは見たことのないものだった。だから不安になる。このことは教わったことがなかった」「十代の人間が眩しく見えるのは、その同じ場所を下っている六十代の人間かもしれない」
高橋源一郎はまるで先人の考えが乗り移ったように、静かに書き足してゆく。続きは後日。
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