« 驚異のフランマルティーノ | トップページ | 『マーティ・シュプリーム』に引く »

2026年4月22日 (水)

観山とは

東京国立近代美術館で5月10日まで開催の「下村観山展」を見た。観山の名前は明治から戦前にかけて活躍した日本画家として名前は知っているし、作品もこの美術館や東京国立博物館の常設で見ているはずだが、個展を見たことがなかった。例えば一回りほど上の横山大観ならば、何度も大きな個展を見たのだが。

まず驚いたのは、展覧会の最初にある数点。10歳とか13歳で描いた絵が、既に本格的な日本画である。紀伊徳川家に代々仕える能楽師の家に生まれて橋本雅邦に学び、東京美術学校(現・芸大)に第一期生として入学。卒業後はすぐ教え始めたというから、まさに天才画家だったのだろう。

そして30歳頃に文部省派遣で2年間のイギリス留学。20世紀初頭でちょうど夏目漱石と同じ頃ではないか。なんと英国時代に描いて大英博物館に収められた作品も展示されている。古代ギリシャの哲学者ディオゲネスを描いたものだが、どこか和風で墨絵のようだ。

そして帰国後の作品に目を奪われる。《木の間の秋》(1907)は江戸琳派のように金地に木立を描く装飾性に、そこに差す光と影のリアリズムが加わって完成度が高い。たぶん欧州に広がっていたジャポニスムをも吸収していたように思える。

《大原御幸》(1908)は絵巻物。観山は能楽師の家系に育ったからか能をテーマにした作品が多いが、これもその一つ。後白河法皇が建礼門院を訪ねる話だが、こちらは誇張のないリアリズムで自然に見せている。

そして《弱法師》(1915)はもう夢の域だ。これも能から来ており、盲目の法師が落日に向かって拝む姿だが、全体の半分以上を占める梅の木とそこに咲く花が金色を背景にもの悲しい。そして左側の沈む太陽の橙色が永遠に響く。

そんな10点ほどの作品に圧倒されていると、後半は小品が多い。「観山会」というのがあって、三菱などの財界人や政治家と会って彼らに頼まれたようだ。ひょっとすると、そのせいで大作を作る時間がなくなって、小さな注文仕事をやっていたのではと思ったりもした。

いずれにしても1930(昭和5年)で亡くなっているので、戦後まで活躍した横山大観のような大きな存在にはなり損ねたか。しかしその絵を見れば驚異的な画家なのは明らか。後期展示の青いライオンを描く《獅子図屏風》がチラシで見ても良さそうなので、もう1度行くかも。

|

« 驚異のフランマルティーノ | トップページ | 『マーティ・シュプリーム』に引く »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 驚異のフランマルティーノ | トップページ | 『マーティ・シュプリーム』に引く »