ギィ・ジルを初めて見る:『オー・パン・クーペ』
ギィ・ジル監督の『オー・パン・クーペ』(1967)を劇場で見た。先日ここに書いたリュック・ムレもそうだが、『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』を書いた自分としては、そこで触れなかった監督は気になる。
リュック・ムレは名前は知っていたが、若い頃に1本だけ見た作品が苦手だったので本ではあえて触れなかった。ところがギィ・ジルという監督は名前も知らなかった。映画ライターの高橋諭治さんとメールのやり取りをしていたなかで、『オー・パン・クペ』の試写を見てすばらしかったという話を聞いた。
見てみると、始まってすぐに映像の非凡さにうなった。白黒で写されるのはジャンとジャンヌという若い男女で、どうもジャンは去ってゆく感じだ。そしてカラーで彼らが幸せだった頃の映像が出てくる。とにかく互いに話すだけで何もしないのだが、その佇まいがいい。
そこには精一杯生きて愛し合う男女の息吹があり、切なさがある。その存在感の強さに、私は同じ1938年に生まれたジャン・ユスターシュの白黒の映画を考えた。あるいは10歳下のフィリップ・ガレルを。いわばポスト・ヌーヴェル・ヴァーグの世代特有の、なぜか追い詰められた感じがあった。
しかしギィ・ジルの映画は、この2人に比べるともう少しお茶目というか、可愛らしい。カラーの過去の部分の色彩感覚は、『シェルブールの雨傘』などを作ったジャック・ドゥミを思わせるほど華やかで、ジャンヌの着る上着やセーターは見ているだけで楽しい。それが車や通り海岸の色彩と混じりあうように作られている。
ジャンヌは出会った別の男にジャンの話をし、ジャンの父親に話を聞く。あるいは自分の母親にジャンヌのことを話す。言葉、言葉、言葉の横溢は、トリュフォーの映画のようでもある。そのすべてが愛おしいから、あら不思議。これは絶対に『ヌーヴェル・ヴァーグ』で取り上げるべきだったと思った。増刷になれば書き足せるのだが。
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