驚異のフランマルティーノ
6月19日に公開されるイタリアのミケランジェロ・フランマルティーノ監督の3本のうち、『地底への旅』(2021)を試写で見た。この監督は既に2010年の『四つのいのち』が翌年に日本で公開されて、大いに気に入った私はこのブログにも書いている。
邦題は『四つのいのち』だが、原題はLe quatre volteつまり「四回」の意味。人間、羊、木、炭と中心は移ってゆき「四つのいのち」を見せる。ピタゴラス派の「四つの転生」に基づくという。途中で主人公が人間でなくなるという驚異の映画だった。
今回見た『地底への旅』は2021年に東京国際映画祭で上映されたが、見ていない。その時は、原題Il bucoの直訳の「洞窟」という題名だった。映画は、南イタリアのカラブリアで洞窟に潜って調査をする若者たちをそこに住む住民たちと共に見せる。
最初にクレジットで1961年の洞窟調査に触れられるが、私はこの映画がドキュメンタリーだと思って見ていた。羊飼いの老人が亡くなるシーンも、夜に村人たちが集まってテレビを見る場面も、メインとなる洞窟の探検も。ところが終盤になって、ひょっとしてこれは1961年を舞台にしたフィクションではないかと思い始め、終わってからそうだと確信した。
確かにいくらイタリア南部の山岳地帯でも、夜に一台の小さなブラウン管テレビの前に集まって村人達が集まって見ることは今はないだろうし、探検の現場で火をつけるイタリアの雑誌には表紙にケネディとニクソンの顔写真が並んでいた。さらに現代にしては探検隊があまりにも無防備だし、誰も携帯電話を持っていない。
なぜドキュメンタリーと思ったかと言えば、山村の空気の存在感だと思う。空は晴れたり曇ったり、雨が降ったり霧になったり。そして洞窟の闇と光のドラマがある。それぞれの音が牛につけた鈴の音や洞窟の中の音と混じりあいながら、響いてくる。終わりに、早朝、洞窟の中を何枚もの紙を使ってデッサンに残す男が出てくる。その美しき動作といったら。
撮影は名手レナート・ベルタで、彼が撮ったダニエル・シュミットやエリック・ロメールの映画の空気感を思い出すが、この作品ではさらにすべてが澄んでいて光と闇の中での空気の流れが繊細な音響の渦の中で伝わってくる。そのうえ、試写会場が映像、音響共にすばらしい日本シネアーツでよかった。
私はこの映画を見て、ヴィスコンティの『揺れる大地』(1948)のことを考えた。あるいはヴィットリオ・デ・セータの『オルゴソロの盗賊』(1961)やエルマンノ・オルミの『木靴の樹』(1978)を。つまりは、映画大国イタリアで脈々と引き継がれるネオレアリズモの系譜である。
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