『爆弾犯の娘』を読む
梶原阿貴著『爆弾犯の娘』をようやく読んだ。私はもともと学生運動の話が好きで、1968年の日大や東大の闘争のみならず、あさま山荘事件もよど号事件も三菱重工爆破事件も気になる。三菱事件は韓国の女性監督が撮った『狼をさがして』というドキュメンタリーを見たし、桐島聡が名乗り出た直後に死んだ時は妙に興奮した。
だから、もちろん彼を主人公にした足立正夫監督の『逃走』も高橋伴明監督の『桐島です』も見てここに書いている。『爆弾犯の娘』の著者の梶原さんは『桐島です』の脚本を書いているので、読まないわけにはいかなかった。
実は彼女には1度宴席で会ったことがあるが、それはその前の脚本作品『夜明けまでバス停で』の受賞直後で、その時はこの本のような人生を歩んだことは全く知らなかった。私よりちょうど一回り若いが、この世代にこれほど「学生運動」がしみ込んでいることにまず驚いた。
小学生の「私」は池袋北口に住み、ひんぱんに引っ越した。「うちには人を連れてきてはいけないし、うちがどこにあるかも誰にも教えてはいけない」「これが我が家の掟だった」。父親は同居しているが、玄関に靴はなく、トイレの水も流さない。
「もう一つ、我が家には掟があった。枕元には各々のボストンバッグを置いておくこと。中には「大事なもの」が入っていて、何かあればすぐ逃げられるようにしてある。しかし何から逃げるのかは知らない」
「休みの日にはよく母と一緒に大量の餃子を作った」。ある時百個作ったら、そのうち85個くらいを父が食べてしまう。「なんだか無性に腹が立ったので、「働かざる者、食うべからず!」とあいつを指差して大きな声で言った。瞬間、母の張り手が飛んだ」。父は寝る前に「僕、いっぱい食べちゃうから、本当にごめんね」と言う。何とも微笑ましい。
ある日、母は大事な話があると言い、14年前の新聞記事を見せる。「お父さんはね、役者で爆弾犯なの」。そして初めて「梶原譲二」という父の名を知る。これが12歳、1985年の時だから驚く。そして交番で指名手配写真を見た。それからしばらくして父は家からいなくなった。翌日の新聞に「爆弾男梶原を逮捕」と見出し。
中学入学と同時に父の公判が始まる。母は父と入籍し、花小金井に引っ越し、飯能にある新しい中学校に通う。役者になりたいと言うと、母は若松孝二のところに連れてゆく。そして芸能事務所に入る。父の裁判が終わり、6年の懲役で静岡刑務所に行く。そこに母と行くが、新幹線を間違えて遅くなる。
そして1989年の秋、映画『櫻の園』のオーディションを受けて合格。それから出演が続き、高校三年生の時に父が出所。そして2年間の保護観察期間が終わると、両親は離婚して家族離散となった。梶原は脚本家を目指し、たどり着く。
2015年の夏、母の住む西伊豆の家に突然父がやってくる。そして再び住み始める。さて、父親が『桐島です』を見たかは書いていない。絶対に見たはずだが、どう思ったのだろうか。この本は以下の文章で終わる。
「(『桐島です』は)「五日で脚本を書いた」とドヤ顔で自慢気に言っていますが、これに要した時間は、五日ではなく私の人生五十年です」
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