『オールド・オーク』の正しさと『ラプソディ・ラプソディ』のいい加減さ
ケン・ローチ監督の『オールド・オーク』を劇場で見た。3年前のカンヌのコンペに出た作品だが、買った配給会社の経営が難しくなって別の会社が配給したと聞いた。いずれにせよ、今年90歳の監督のおそらく最後の作品だろう。
もともとケン・ローチは直球の社会派で、恋愛や家族を含めながらも現代社会の矛盾を描き出し、改革を迫る。特に『わたしは、ダニエル・ブレイク』から『家族を想うとき』と本作の三部作はその社会的訴えが直接的になってきた。
今回は寂れた炭鉱の町が舞台で、TJはそこで唯一のバー「オールド・オーク」を経営している。冒頭から町が受け入れ始めたシリア難民をめぐる議論が始まり、それが白黒の写真で示される。ある男がカメラを叩くとカラーになり、女性のカメラが壊されたことがわかる。
カメラを壊されたのはシリア難民の女性だった。常連客達はバーの奥にある閉ざされた部屋で移民受け入れ反対集会をしたいとTJに申し入れる。TJは危険だと断るが、難民向けの無料食堂のためには無理をして貸すことにした。常連たちの怒りは爆発する。最後は何となく和解した形で終わり、ほっと一安心。
日曜午後の劇場は完全に満席だった。たぶん、今の「日本人ファースト」的な社会の雰囲気に危機感を抱いている人々が押しかけたのではないか。このような層が相当数いることを具体的に感じられてよかった。
利重剛監督の『ラプソディ・ラプソディ』は現代のもう1つの面を見せてくれる。幹夫(高橋一生)は、ある時戸籍を取りに行って自分が見知らぬ女と結婚していることを知る。その相手を探し出すと花屋の店員の繁子だった。繁子は精神的に不安定で「結婚すれば頑張れると思った」ので勝手に籍を入れていた。
そんな繁子に幹夫は怒らない。生活に困った彼女に自分との同居を勧めさえする。繁子は幹夫を振り回すが、幹夫は決して怒らない。そんな幹夫には叔父がいて見守っているが、それを演じているのが監督の利重剛。そのせいか、3人のやり取りは見ているだけでおかしい。今の日本ならあるかもと思ってしまう。
ケン・ローチの見せる正しさも、利重剛が展開するいい加減さも、どちらも必要なのが現代なのだろう。こちらはガラガラだった。
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