『近現代歌集』とは
例によって自宅近くの書店「かもめブックス」で買ったのが、文庫の穂村弘編『近現代短歌』。この編者はエッセーで名前は知っていたが、「歌人」らしい。いずれにせよ、私と同世代の歌人が選ぶ明治以降の短歌というので買ってみた。
というのも、目次を見たら50人の歌人のうち半分近くは中学校や高校で学んだ名前だったから。正岡子規に始まって、佐々木信綱、与謝野鉄幹、窪田空穂、与謝野晶子、斎藤茂吉、北原白秋、若山牧水、石川啄木、吉井勇、釈迢空、岡本かの子、土屋文明、宮沢賢治、吉野秀雄、佐藤佐太郎、宮柊二など、名前だけは今でも覚えている。
さて具体的な短歌を覚えているかと思ったが、ほぼ記憶になかった。ただ読んでみると、かすかに記憶がある歌もある。例えば佐々木信綱の「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」などは確かに当時読んで、見たことのない奈良の光景を勝手に思い浮かべた。
この歌に対して「代表歌である。一読して心に浮かぶ景色の鮮やかさと音読した時の心地の良さは、六つ重ねられた助詞「の」の効果による」と端的に説明されているが、そんな解説は当時はしてくれなかった。こんな感じで各歌人の代表作を5つずつ解説してくれるから、わかりやすい。
斎藤茂吉「めん鶏ら砂あび居たれひつそりと剃刀砥人は過ぎ行きにけり」も妙に覚えている。高校生の時、この歌を残酷で怖いと思った。解説は「不穏な衝撃がある」「どこか死神めいた雰囲気が漂っているのだ」だから、遠くない。
若山牧水「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」。これもまた「哀しからずや」という嘆きの言葉と共に記憶している。「この鳥の種類は何か。空にいるのか、それとも海にいるのか。そしてまた、一羽なのか複数なのか。現実的な三次元の景としては特定することができないのだ。にも拘わらず、純化された心の風景として、その思いは読み手に直に届けられる」。なるほど、謎だらけか。
ほかにも心のどこかに記憶している歌がいくつかある。してみると、昭和の中学や高校の国語教育には意味があったのではないか。私は高校生の時に「短歌や俳句はわからんが、ピカソやセザンヌはもっとわからん」と言っていたと後になって当時の同級生から聞いたことがある。「わからん」と思いながらも頭のどこかに覚えていたとは、なんとも不思議だ。さらに言えば、二十年後には展覧会の仕事でピカソやセザンヌを扱っていたのだから。
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