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2026年5月16日 (土)

辻邦生と飯島正の展覧会

画家や彫刻家ではなく、小説家や学者を扱った小さな展覧会を立て続けに2つ見た。一つは学習院ミュージアムで今日16日(土)まで開かれている「RE:辻邦生―いま、ふたたび作家に出会う」で、もう一つは早稲田大学中央図書館で明日17日(日)までの「飯島正、ある活動狂の面影」。

どちらも「ランカイ屋」(「展覧会屋」の略)の用語だと「ドキュメント展」、つまり絵画や彫刻を展示するのではなく、有名人に関わる遺品や資料を写真やパネル解説と共に見せるものだ。辻邦生(1925-99)は昨年に生誕百年を迎えたことから各地で展覧会が開かれ、その中心となった学習院大学のミュージアムで2回にわけて展覧会が開かれている。

辻邦生は有名な小説家だが、学習院大学のフランス文学科の教授として長年フランス文学を教えてきた。つまりフランス文学を学んでそれを教えながら、その成果を自ら小説を書いて実践していたことになる。私は改めてこの事実を確認しながら、自分のことを考えた。

私は高校時代に病気で長期入院して文学に目覚め、大学で文学部に行くことにした。高校生の時に好きだったのが北杜夫で『ドクトルマンボウ航海記』に始まって『楡家の人々』などを夢中で読んだ。そして彼の友人だった辻邦生を読んだ。『回廊にて』や『夏の砦』は大学に合格して1年間療養のために休学した時に読んだ。

ほかにも中村真一郎や福永武彦らの仏文出身の小説家が好きだったこともあって、文学部で2年生になって専門を選ぶときにフランス文学科を選んだ。この流れでいえば、フランス文学を学んで小説家を目指すべきだったが、私はいつのまにか蓮實重彦の文章に夢中になり、映画ばかり見るようになった。

映画を見ると、もはや辻邦生の小説はどうでもよくなった。というか映画はフランスばかりでなく、アメリカもドイツも日本も面白いので、ある種のコスモポリタンというか、「映画の共和国の市民」になった。

その意味では東大仏文に進みながら映画評論家になり、戦後は早稲田で映画を教えながら研究者となった飯島正(1902-96)も一つのモデルだった。私は仏文科の途中でパリに1年行き、帰国後卒業して早大の大学院に1年行った。まさに飯島が教えていた場所だったが、もちろん引退していた。当時はまだご健在だったが、会ったことはなかった。

この展覧会でおもしろかったのは、彼が戦後出した『フランス映画史』『イタリア映画史』『ヌーヴェル・ヴァーグの映画体系』などは、授業のために文章を書き、講義が終わると『キネマ旬報』の連載に回して、それを本にしたという説明だった。なんと効率のよいやり方だろう。実は私の最近の新書は少しそんなところがあって、連載はないが授業用のメモをそのまま本の文章に使っている。

2つの展覧会を見ながら、こんな風に自分のことばかり考えた。

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