もうすぐ定年
先日、65歳となった。かつて働いた新聞社では、誕生日が最終勤務日だった。夕方6時過ぎになると、簡単な「お別れの式」をやったものだ。課長か部長が花束を渡し、みんなで拍手をする。そして「さようなら」と去ってゆく。
そういった「たった一人の卒業式」を自分もやるのか、寂しいなあと思っていた。その頃、1990年代の定年は60歳で、まだまだ十分に働けそうな男女がそうやってポツリ、ポツリと去っていった。今でも彼らの姿をよく覚えている。
その前に勤めた役所は定年者は年度末まで務めた。数名まとめて講堂で簡単な送別会をしていたので、何となく公的な感じで見ていて気が楽だった。それに比べて、会社でたった一人で去ってゆくのは嫌だなあと思った。最近は民間でも月末まで働くようだが。
自分が新聞社を辞めた時は書類上は3月末までの勤務にしたが、有給休暇消化のために3月の初めのある日を勝手に最終勤務日と決めた。数日かけて徐々に私物を持ち帰り、ある日夕方に突然「今日までです。失礼します」と逃げてきた。
それでも新聞社は情に厚いところなので、送別会はほかの異動になる方々と一緒に別途やってくれ、帰りにはタクシー券までくれた。それと別途に、長年過ごした事業部では社外の方も含めた大きな会もやってくれた。さて最初の役所の終わりはどうだったか覚えていない。5、6人の小さな課だったので、みんなで昼食に行った気がする。
それにしてもどちらも退職後に「次」に行く先があった。だからある意味で微妙な感じ。つまり私を逃げてゆく「負け犬」とバカにする気持ちと、次があって「羨ましい」という思いの両方が職場に渦巻いていたから。今思うと、去る私自身も似たような気分だったかもしれない。
大学教員は役所と同じで3月末だが、今度は「次」がない。さすがに誰も65歳は雇わない。その先には「永遠の休暇」が待っている。もちろん頼まれれば非常勤講師などの形で教えることはあるかもしれないが、研究室はなくなって初めて「フリー」になる。
考えてみたら、3つの職場を全部足すと40年になる。まさか勤め人をこんなに長くやるとは思わなかった。いつも組織に属して、その決まりに文句を言いながら従う生活をしてきたのだから、驚くほかはない。大学の文学部を出て大学院で映画を専攻し始めた時には、全く考えもしなかった。
そう考えたら、これからようやく自分の人生が始まる気がする。何となく、ワクワクしてきた。
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コメント
ここ8年ぐらい古賀さんのブログ更新を楽しみにしているものです。
もちろんヌーヴェルヴァーグも読みました。
65歳おめでとうございます!
投稿: タカシ | 2026年6月26日 (金) 17時29分