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2026年6月 3日 (水)

『サンキュー、チャック』のカール・セーガン

マイク・フラナガン監督の『サンキュー・チャック』を劇場で見た。ある男の人生をめぐって時代を遡る映画とどこかで読んで見たくなった。スティーブン・キングの原作というのもあった。

これがなかなか楽しかった。第3章から始まり、最初は黒人の男性教師マーティが授業をしていると周囲で大変なことが起きていることに気づく。世界各地で地震、山火事、津波などが起きているようで、もちろんWIFIも通じなくなる。

どうも地球が終わりに近づいているようで、マーティは別れた恋人と連絡を取り、会おうと考える。そんな終末的世界に現れるのは「サンキュー、チャック」という奇妙なポスター。これが町中の看板にあったり、建物の壁に見えたり。世の終わりは近づき、マーティは恋人と最後の時を過ごす。

次に第2章が始まり、黒人の娘が路上でドラムを叩いている。ジュリアード音楽院に入ったが、方針が合わずにやめたらしい。そこに出くわすのが地方出張中のチャック。30歳ほどの会計士で会議に参加するために出張した合間に立ち寄る。そこでドラマに合わせて少しずつ踊り出す。

チャックは真面目なスーツ姿が仮の姿であったかのように、次第に軽やかに踊りまくる。娘の即興の演奏も乗りに乗って、まるで長年コンビを組んでいたかのように2人は波長を合わせて動き出す。まわりには次第に大きな人々の輪ができ始める。そしてもう1人の女性がダンスに加わる。チャックのダンスは祖母直伝だった。

第1章は少年時代のチャック。両親と妹を交通事故で亡くした10歳のチャックは、祖父母と古いヴィクトリア朝風の館に暮らしていた。祖母からはダンスを教わるが、祖父は数学に力を入れるように諭す。しかしパーティで踊り出したチャックは一挙に人気者に。祖父母が亡くなって17歳になったチャックは、祖父が秘密にしていた部屋に入る。

その頃、カール・セーガンの宇宙論が流行していた。地球の歴史の中で人類が登場したのはほんの最近、1年に例えたら12月だというやつで、これは日本でも私が大学に入った1980年に彼が監修した『コスモス』というテレビ番組と本が大流行していた。

最後の最後まで来て、ああ、これはすべてチャックの脳内の世界だったのかと悟る。つまり、平凡な男の人生にも無限の出会いと可能性があったことを見終わって考えることになる。何となくうますぎる構成だし、少し説教くさい作り物に騙された感じもするけれど、これまた映画の一つの楽しみか。2つのダンスシーンは本当に見ていて嬉しくなるし、カール・セーガンも懐かしかった。

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