『映画監督 崔洋一 映画は闘争だ!』を読む
樋口尚文、野村正昭、石飛徳樹編著、崔洋一著『映画監督 崔洋一 映画は闘争だ!』を一挙に読んだ。樋口さんと石飛さんが懇意なので送ってもらったが、いやはやおもしろい。実は、私は崔監督には3度怒鳴られたことがある。
1度目は1996年に「韓国映画祭 1945-1996」をやった時。韓国映画を100本やるという三百人劇場からの持ち込み企画で、経費ごと引き受けた。実際には80本になったが、私の主な仕事はカタログの編集だった。
筆者は佐藤忠男さんなど数名に頼んだが、在日コリアンの監督である崔洋一さんの原稿はいいかもと考えた。『月はどっちに出ている』(1993)や『マークスの山』(1995)が話題になっていたし、その後韓国に留学しているというのでおもしろいと思った。手紙が転送されてソウルからOKの電話をもらったが、原稿は来ない。
ギリギリになって携帯に電話すると「全然連絡してこないから、もういいのかと思ったよ。今頃言われたってだめだよ」と怒った声で言われた。これは怒鳴られたわけではないが、こちらの不手際を非難していた。2度目は2003年の「小津安二郎生誕百年記念国際シンポジウム」の時。吉田喜重、蓮實重彦、山根貞男の三氏のアイデアを引き受けた。
日本側のパネリストを選ぶ時に、澤井信一郎、是枝裕和、黒沢清、青山真治といった蓮實さんや山根さんが評価する監督の名前が挙がったので「もっと予想外の野獣系をいれましょう」と私が言って崔さんが決まった。引き受けてくれたが、2日間の参加に加えてそれがNHKのBSで流れ、さらに「朝日」の出版局から収録本が出ると言った時に「ふざけるな」と言われた。
謝礼は8万円だったが「いくら何でも安すぎる」。今考えると確かにそうだが、蓮實さんもみんな8万円だった。怒った崔さんは2日目の全体討議は欠席した。終わってからお詫びの手紙を書いたはず。
3度目は2018年に学生企画の映画祭「朝鮮半島とわたしたち」で『血と骨』を上映した時。学生が作った映画祭の予告編で『血と骨』の予告編を許可(幹事会社が倒産して朝日放送が窓口)を得て使った。それを予告編の最初と最後に使っていたが、それに対して怒鳴られた。
映画祭が1週間後にせまったある夕方、新大久保の韓国料理店で学生たちと盛り上がっていた私の携帯が鳴り「なんだ、あの予告編は。オレの映画の予告編をズタズタに切ってつないで。監督協会の理事長として言うが、著作者人格権違反だ。今すぐ映画館で流すのを中止しろ!」
朝日放送には見せていたが、だいぶ時間がたって崔さんが見たらしい。もちろんすぐに映画館で流すのをやめて、数日後に静止画像のみの予告編に差し替えた。崔さんは予定通り映画の後のトークにも現れたが、ご機嫌は悪いままだった。
肝心の本については、後日書く。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- なぜかイタリア映画の専門家に(2026.08.07)
- 高い、暑い(2026.07.28)
- 酒を飲む量が減ったが(2026.07.19)
- 突然耳が悪くなる(2026.07.17)
- 日本年金機構に行く(2026.07.05)
「映画」カテゴリの記事
- なぜかイタリア映画の専門家に(2026.08.07)
- 『プライベート・ケース』のフランス映画らしさ(2026.08.05)
- 『海辺の一日』に息を飲む(2026.07.30)
- 「出光真子」展に行かねばならない(2026.07.26)
- 『八つ墓村』をめぐって(2026.07.24)


コメント
取り上げてくださり、ありがとうございます!
それにしても、何度も痛い目に遭いながら、また関わろうとする古賀さんも相当なものです(笑)。
中身の方も、忘れずにぜひお願いいたします!
投稿: 石飛徳樹 | 2026年6月27日 (土) 08時30分