『海辺の一日』に息を飲む
エドワード・ヤン監督の『海辺の一日』を劇場で見た。初長編だが、情けないことに自分でも見たかどうか自信がなく、見始めてすぐに「初めてだ」とわかった。それくらい、この監督のその後の映画とは大きく違った。
エドワード・ヤン監督の『海辺の一日』を劇場で見た。初長編だが、情けないことに自分でも見たかどうか自信がなく、見始めてすぐに「初めてだ」とわかった。それくらい、この監督のその後の映画とは大きく違った。
65歳の夏の率直な感想は「高い」と「暑い」のふたつ。「高い」はもちろん物価が高いということで、この半年でずいぶん違う。外食は昼のランチを千円以内で食べるのがなかなか難しくなった。1200円や1500円に驚かなくなった。
東京都写真美術館で9月21日(月)まで開催の「出光真子 おんなのさくひん ある映像作家の自伝」に行かねばならない。これはビデオアートで映画ではない、などと言っている場合ではない。映画好きも美術好きも、見ればびっくりするだろう。
9月18日公開の松竹配給『八つ墓村』の学生向け試写を大学で行った。この種の試写は通常、配給会社からの依頼でやることが多い。学生の反応を知りたい、コメントが欲しい、SNSで広めて欲しいといった理由で頼まれる。
今週末、26日(日)まで開催の国立映画アーカイブの「再訪 日本の映画ポスター芸術」をようやく見た。実は「再訪」とも書いてあるし、自分はすべて見たことがあるので今さら見る必要はないかと思っていた。
先日、教え子3人と飲む機会があった。今年の3月に卒業したばかりだが、就職してどうだとか、私はもうすぐ定年になるとか、話は尽きない。安い居酒屋でたくさん酒を飲んで実に楽しいひと時だったけれど、2時間くらいたつと「もうたくさん」という気分になった。
60歳を過ぎてから、「病気の疑い」が増えた。一昨年は健康診断で緑内障の可能性を指摘されて、眼科で精密検査を受けたが問題なかった。昨年は「胃粘膜下腫瘍の疑い」と言われて胃カメラで精密検査をしたが、これも問題なかった。
ミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)と言えば、ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカやルキーノ・ヴィスコンティらが確立したネオレアリズモを大きく変容させた存在として知られる。
最近、私より少し年上の映画関係者の自伝やインタビューをよく読む。金子修介『無能助監督日記』は、現在も活躍する監督が学生から日活に入社して監督になるまでを振り返ったもので、なかなか楽しそうで羨ましくなった。金子さんは71歳。
ホセ・ルイス・ゲリン監督の『よき谷の物語』を見て、震撼した。この衝撃度の強さは現代上映中のミケランジェロ・フランマルチーノの『おくりもの』『四つのいのち』『地底への旅』と同じくらいで、ひょっとすると今年最強の4本かもしれない。
中国のチャン・リュル(張律)監督が同じ俳優を使って撮った『春樹』と『ルオムの黄昏』が上映中だ。『春樹』は去年の東京国際映画祭で『春の木』という題で上映されて大好きな映画だったので、『ルオムの黄昏』を劇場に見に行った。
65歳になる少し前に年金の書類が送られてきた。これが皆目何のことかわからない。みんなどうしているのだろうと思いながら、送ってきた私学教職員共済組合に電話をしてみた。番号などを述べたが、私の場合はそこではわからないという。
前回、この本について書くと言いながら自分が崔洋一さんに怒鳴られたことしか書かなかったので、今回は本の中身について書こうと思う。この本は全体の4/5の第一章が、ライブ配信番組「DOMMUNE」における樋口尚文さんのロングインタビューからなる。
「カール・ヴァルザーとは何者か?」とは東京ステーションギャラリーで6月21日まで開催されていた「スイス絵画の鬼才 カール・ヴァルザー」展のチラシにある言葉だ。私も全く聞いたことのない名前だったが、来日していたベルギー人の美術史家夫妻に誘われた。
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