『海辺の一日』に息を飲む
エドワード・ヤン監督の『海辺の一日』を劇場で見た。初長編だが、情けないことに自分でも見たかどうか自信がなく、見始めてすぐに「初めてだ」とわかった。それくらい、この監督のその後の映画とは大きく違った。
この監督のトレード・マークとなったロングショットの長回しは少なく、アップが続く。それより何より、メロドラマというか最初から「意図」が直截に見せられる作りに戸惑った。最初に夕暮れの海辺が写るが、それからは13年ぶりに台湾に帰国した女性ピアニスト蔚青(ウェイ・チン)が出てくる。そのニュースを聞いた佳莉(ジャーリー)は連絡を試みる。
蔚青は迷うが、何とか都合をつけてカフェで佳莉と会うことにした。そこから蔚青の回想に入る。彼女は若い頃、佳森の兄、佳森(ジャーセン)と仲良かった。しかし佳森はある日突然、医者の親の決めた相手と結婚してしまった。蔚青はピアノに生きることに決めて、海外へ旅立った。
ところが、回想はいつの間にか佳莉の話になってゆく。彼女は兄のような結婚はするまいと、仲良かった徳偉(ドゥウェイ)と結婚するために家出をする。最初は楽しかったが、徳偉は会社人間になって毎晩遅く帰り、そのうえ社内の若い女性と遊び始める。
佳莉は何とか二人の仲を復活させようと努力するが、それはむなしく、徳偉は社長もコントロールができないほど無茶な方向へ突っ走る。佳莉が「夫が海辺で死んだかもしれない」と連絡を受けたのは3年前だった。そこで始める「海辺の一日」。
佳莉を演じるシルヴィア・チャンが圧巻だ。高校生の瑞々しい感じから、結婚して有閑マダムとなり、高級車を運転してゴージャスな服を着こなす。さらに海辺に行った時には、ちょっと痛々しいカーリー・ヘア。そしてカフェに現れた時のショートヘア。
「海辺の一日」では幼少時の思い出まで出てくる。医者の父は看護婦に手を出し、母はそれを知ってお金を渡して追い出す。すべてを見ていた佳莉と兄。カフェのシーンに戻り、蔚青は佳莉の夫のことをあえて聞かず、佳森の消息を訪ねる。佳森の亡くなる前の独白がすさまじい。蔚青は涙する。
エドワード・ヤンとは思えないほど俗っぽい。そのうえ、いかにもの紋切り型の演技がたくさんだ(ホウ・シャオシェンもいた)。家父長制と会社第一主義の中であがく若者たちの姿は、まさに日本と同じだった。それをこれほどの執念と諦念で描いた日本映画はあっただろうか。この映画の終盤の哀しさは何だろうか。思わず息を飲んだ。
この映画は撮影監督、クリストファー・ドイルのデビュー作でもある。佳莉たちの実家の医院や父母の佇まい、寂しい海岸の切なさは確かに非凡さを感じさせる。
私は1991年秋に東京で、92年夏にロカルノでこの監督と言葉を交わした。その控えめな微笑を今でも覚えている。
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