ポー河から考えるイタリア映画史
ミケランジェロ・アントニオーニ(1912-2007)と言えば、ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカやルキーノ・ヴィスコンティらが確立したネオレアリズモを大きく変容させた存在として知られる。
アントニオーニはフェリーニと同様に若い頃にロッセリーニと仕事をしているが、アントニオーニはブルジョア社会の愛の不毛や不条理を描き、フェリーニはファンタジーや神話的世界に向かった。というのが、映画史の定説である。
8月15日からアントニオーニの代表作5本を連続上映する「ミケランジェロ・アントニオーニ・レトロスペクティヴ」が始まるので学生の夏休みの課題にしようと考え、この機会に初期短編を見ることにした。これは30年以上前にパリでまとめて見たことがあった。
最初の職場の語学研修で1992年7月から9月までパリに滞在した。実際のところはロカルノ、ヴェネツィア、サン・セバスチャンの各映画祭、エジンバラ演劇祭、ドイツの現代美術の祭典「カッセル・ドクメンタ」などに行っていて、あまりパリにはいなかったが。
9月にヴェネツィアから帰って来た頃だと思うが、ルーヴル美術館のオーディトリウムでアントニオーニ全作品上映という企画があった。アントニオーニ本人も来るというので行ってみたが、彼は車椅子だった。そこで初期のドキュメンタリー短編数本が上映されて、彼は「これを見たら私がネオレアリズモの直系だとわかってもらえるだろう」と言っていた。
もちろん30年たって映画の内容はすべて忘れた。そのうえ、彼の短編はイタリアでもDVD化されていない。ところが何と多くはイタリア語題名で検索するとYoutubeで見られるのだ。1943年に作られて47年に公開された最初の短編『ポー河の人々』を見ると、その生々しさに驚く。
ポー河は、アルプスからトリノを横切ってミラノ郊外を通り、アドリア海に流れる北イタリアを代表する河川だ。そこに農作物や日常品を運ぶ舟が数多く通り、舟の中で生活している貧しい人々もいる。あるいは岸辺に暮らす人々の日々の生活が写る。岸辺を走る一頭の白い馬、自転車で若い女に近づく男、アコーディオンに合わせて歌う人々。
最後は海に近づき、河はどんどん大きくなる。そして雨が降り始め、雷が聞こえて映画は終わる。何という暗澹たる映画だろうか。この救いのなさはネオレアリズモを予告したとされるヴィスコンティの『郵便配達は2度ベルを鳴らす』に近いと考えたら、この映画と同じ年の同じ地域の撮影だった。
ひょとすると、アントニオーニは『チネマ』誌で一緒に書いていたヴィスコンティの撮影を見に行って、ついでに撮ったのではないか。あるいはフェッラーラ生まれのアントニオーニはヴィスコンティを案内したかもしれない。
これに戦後のネオレアリズモ作品のラトゥアーダ監督『ポー河の水車小屋』やデ・サンティス監督『苦い米』(共に1949年)を考えると、ポー河をめぐる戦後イタリア映画史ができそうだ。
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