「再訪 日本の映画ポスター芸術」を見て
今週末、26日(日)まで開催の国立映画アーカイブの「再訪 日本の映画ポスター芸術」をようやく見た。実は「再訪」とも書いてあるし、自分はすべて見たことがあるので今さら見る必要はないかと思っていた。
たまたま近くで用事があったので、行ってみたら、これがちょっと驚きだった。展覧会名の最後に「芸術」と付けただけあって、アート度が高いというか、特に60年代以降は本当に前衛芸術である。
最初は戦後の手書きのポスターで、まずは野口久光の品のいいポスターが並ぶ。『大人は判ってくれない』は実はパリのシネマテークにもエレベーターの隣に大きな複製が飾られているのだが、アントワーヌ少年の固い表情がいい。『禁じられた遊び』だと犬を抱えた少女の可愛さがすごい。たまたまフランス人の老夫婦が観客にいて、見入っていた。
1960年代からは、一般的に有名なグラフィック・デザイナーが映画ポスターの仕事を始める。粟津潔の『中国女』など原色に縁取られた強烈なイメージはいかにも乗りに乗った時期のフィルムアート社の配給する映画にふさわしく、1970年前後の反逆の時代を思わせる。懐かしの奈良社長は得意満面だったのではないか。
同じ極彩色でも横尾忠則のポスターはどこを切ってもヨコオ調で、映画だろうが演劇だろうが、60年代だろうが現代だろうが、永遠にサイケデリックな世界で楽しませてくれる。なかには『二百三高地』のような普通の商業映画もあるが、これはたぶん別にポスターを作っていたのではないだろうか。
石岡瑛子と滝野晴夫の『地獄の黙示録』に至っては、ほとんどエイゼンシュテインの映画ポスターなみにスタイリッシュで、これも大作なので別のポスターがあったはず。予算に余裕があって、アート版を作っていたのかどうか。
ATGのポスターも輝いている。大島弘義『尼僧ヨアンナ』は写真はわずかに女性の顔部分だけで、英語と日本語の題名を大きく使い、黒をバックに顔写真の切り抜きを浮かび上がらせる。あるいは桧垣紀六の『ジャンヌ・ダルク裁判』は、上半分で鎖につながれて交差した両手を見せて、下には炎のイメージの黄色。
昔、ポーランドやチェコの映画ポスターを見た時にその芸術性の高さというか非商業性に驚いたが、かつての日本の映画ポスターも同じだったのだと思った。最近の日本ではこんなポスターはない。
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