最後の杉本博司展
杉本博司という美術家は、私は昔からよくわからなかった。日本で知られるようになったのはたぶん1980年代後半で、ニューヨークの自然史博物館で撮った一連の白黒の写真だった。
ニューヨークの自然史博物館というのは、妙なところだ。恐竜の骨の展示などは日本の国立科学博物館などと同じだが、1階や2階にはジオラマの部屋が何十もある。例えば類人猿が生活している光景が、立体物と絵によって巧みに表現されている。手前には類人猿のほか、道具や屋根などが立体物で作られており、その奥には実に遠くまで絵が描かれている。
長方形の枠の向こうにあって、手を伸ばせば届きそうだ。それが暗闇のなかで、横5メートル、縦3メートルほどの枠の大きさで原色が光っている。ある種の視覚の幻影のようなものを感じ、映画前史の作り物の一種ではないかとさえ思う。1階や2階を歩いていると、古代の中にもぐりこんだような不思議な気持ちになる。
杉本はその奇妙なリアルさを写真に撮ることで、さらなる幻覚を生み出している。現在は、観光客はみなスマホで写真に撮っているが、大きなカメラを固定させて一点ずつ正面から白黒で撮影することを1970年代に考えるとは驚きだ。
それは次の映画館シリーズもそうで、映画の上映時間だけフィルムを露光させて、スクリーンを客席付きで正面から撮っている。ちょうどシネコンが広がる前で、壊れそうな旧式の宮殿のような劇場のスクリーンが真っ白に光る。
この2つは、私にはある意味で「映画」というものへの挑戦に思えた。今回の展示ではまるで自然史博物館のように全体をかなり暗くし、白黒の写真だけを浮かびあがらせていて、効果は抜群だ。ところが、《海景》というシリーズになると、世界各地の海と空を撮ったもので、視覚的な挑戦の要素が少なくなり、ある種の抽象化、美化へと向かう。
最新のファッションをまとうマネキンのシリーズやロンドンの蝋人形館の人形シリーズは初期の2つに近いが、視覚的幻惑のインパクトは弱い。それでも暗い空間に輝く白黒の写真を見るのは心地よかった。森美術館の個展のような能舞台や東京都写真美術館の時のお化け屋敷のような空間が展示されなくてよかった。
各作品には杉本本人の解説と、彼の短歌が書かれている。これはたぶんいらなかった。私が見る最後の杉本博司展かもしれない。
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